現代スサノウの言霊 

島生み(その2)

是に二柱の神、議りて、云ひけらく、「今吾が生める子良からず。猶天つ神の御所(みもと)に白すべし。」といひて、即ち共に参上りて、天つ神の命を請ひき。爾に天つ神の命以ちて、布斗麻邇爾卜相ひて、詔りたまひけらく、「女先に言へるに因りて良からず。亦還り降りて改め言へ。」とのりたまひき。

 上の古事記の文章は、正統な子生みに失敗した岐・美二柱の命の反省の文章であります。「神様でも失敗するのか」などと思ったら、古事記の真意から外れてしまいます。人類が初めて心の先天構造の原理を発見し、その先天構造から正系の言語を作り出そうとする時の苦心談なのだと思えば納得出来ることであります。
 神話の言葉通りを解釈すれば、「岐・美二神は相談して『生れた子は正統な子ではなかった。天上の神の所へ行って申し上げよう』と言って、二人して天上の神に新しい命令を下さい、とお願いした。天上の神は太占のうらないをして「女が先立って言ったのがいけなかったのだ。改めて下って行って、順序を間違えずに言え」と命令した、となります。毎度お話することですが、古事記神代巻が言霊の教科書であることを頭に置けば、意味は大分違って来ます。真意は次の通りです。
 現象である子音を生もうとして、母音を先に発音して、後に父韻を付けたのでは適当でなかった。再び心の先天構造である十七個の言霊からなる天津磐境の原理に立ち返って、基本の原理から再検討をしてみよう。そして先天十七言霊の原理である布斗麻邇に照らし合わせ手見ると、母音を先にして父韻を後に発音したのがいけなかったのだ。再びやり直して、父韻を先に母音を後に発音するように改めることだ、と気付いたのであった。

 故爾に反り降りて、更に其の天の御柱を先の如く往き廻りき。是に伊邪那岐命、先に「阿那邇夜志愛袁登売袁。」と言ひ、後に伊邪那美命、「阿那邇夜志愛袁登古袁。」と言ひき。如此言ひ竟へて御合して、生める子は、淡道之穂之狭別島。

 この文章は、子生みに失敗して反省し、先天の構造に照らし合わせて子音を生む正統なやり方である、父韻を先にし母音を後にする方法の実行に取りかかる項であります。文章自体の意味は説明を要しない事でありましょうが、ここに注目しなければならぬ二つの事柄があります。それをお話ししましょう。
 先ず第一に子音を生む前に何故「阿那邇夜志愛袁登売袁。」という感動・愛情の表現を入れたか、であります。男女が結合する時にはお互いの愛情が大切です。それなら実相である子音を生む時の感情の役割とは何なのでしょうか。創造意志の発動で現象を生む時には、特に愛とか慈悲という純粋の感情の世界、言霊アの立場に立つ事が必要であることをこの文章は教えているのです。昔の言葉でそれを「明かき心」といいます。言霊アの心に立つ時、人は物事の実相を最も見ることが出来、最もよく表現することが出来るものなのです。
 次に岐美二神はこの文章以降次々と十四の島を生んで行く事になるのですが、三十三の子音を生む前に何故島を生んだのでしょうか。これが第二の問題です。島とは以前にも話に出ましたが「締まり」の意です。事務所で夕方帳簿等を「締めた」と言えば、閉店となり、金銭の出納を今日一日分としてまとめ、昨日までの、そして明日からの出納と区別した、という意味でありましょう。それなら岐美二神の子生みに先立って生れた島とは何の区別をするのでしょうか。
 古事記はこの本の初め、「天地初めて發けし時」以来次々と神が生れました。その神々は言霊のことでありました。そして今迄に先天の十七神、十七個の言霊が生れています。これより後三十三個の言霊も生れてきます。島とはこれらの言霊が心の宇宙のどの位置空間を占有しているか、それらの言霊を示す神々の宝座は何処か、を示すものなのです。先にお話しましたように、心の宇宙は全部で先天十七個、後天三十三個、合計五十個の言霊で構成されていますが、それらの言霊は全て宇宙の中の時・処・位を持っています。その占有の座を示すのが島というわけなのです。
 岐美二神の子生みに先立つ「島生み」には全部で十四の島が生れます。そのうち、五島が今迄出て来ました先天十七言霊の座であり、次の三島がこれから生れる三十三個の後天子音の座、残りの六島が五十音言霊を操作・運用する作業が占める座ということになります。
 これにより概に出ました淡道の穂の狭別の島(淡道之穂之狭別島)を含めて、先ず先天十七神の占める五つの島について説明し、続く島々につきましては子音創生とその運用の話を区切りの都度説明を入れて行く事に致します。

 次に伊予之二名島を生みき。此の島は、身一つにして面四つ有り。面毎に名有り。故、伊予国は愛比売と謂ひ、讃岐国は飯依比古と謂ひ、粟国は大宜都比売と謂ひ、土佐国は建依別と謂ふ。次に隠伎之三子島を生みき。亦の名は天之忍許呂別。次に筑紫島を生みき。此の島も亦、身一つにして面四つ有り。面毎に名有り。故、筑紫国は白日別と謂ひ、豊国は豊日別と謂ひ、肥国は建日向日豊久士比泥別と謂ひ、熊曽国は建日別と謂ふ。次に伊伎島を生みき。亦の名は天比登都柱と謂ふ。

 先天十七言霊の島の説明に入ります。先天十七言霊の構造は天津磐境と呼びます。天津は先天、磐境は五葉坂の意で、全部で先天は五段階の言霊から成っている意味でありました。その五段階の一つ一つの位置が島の名で説明されるように命名されています。各島の説明の参考に図で示すことにします。

淡道之穂之狭別島
 言霊ウの区分、神名で言えば天之御中主神の宝座であります。アとワ(淡道)の言霊(穂)が別れて出て来る(別)狭い(狭)区分(島)という事を示しています。言霊ウは主客未剖、アワはそこから分れます。古事記の初めにあります天之御中主神・言霊ウの説明の文章を参照して頂くとこの島の名前の意味がよく御理解頂けます。

伊予之二名島
天津磐境  言霊アとワの宇宙区分のことです。高御産巣日神、神産巣日神の座。二名とはアとワの二音言霊のことです。伊予とは伊即ちイ言霊の予めと読みます。一物もない宇宙の一点に意識の芽とも言える言霊ウが生まれ、それがアとワ、主体と客体にわかれます。この主と客に分れる事が全ての自覚の始まりです。そして先天構造の五段階の宇宙剖判を経て創造意志のイ・ヰの働きで子音(現象)創生となります。でありますから、アとワはイとヰの現象を創造する働きの予めの区分ということになります。
 この伊予之二名島については「身一つにして面四つ有り」と説明されています。「身一つ」とは言霊ウの一音のこと、「面四つ」とはオエヲヱの四音の事を言います。また「伊予国は愛比売と謂ひ、讃岐国は飯依比古と謂ひ、粟国は大宜都比売と謂ひ、土佐国は建依別と謂ふ」とあります。愛比売とは言霊エを秘めているの意で、言霊エとは経験知オの中から選ぶことでありますから、エ秘めとは言霊オであります。飯依比古とは、飯はイの霊で言霊のこと、依は選るの意、比古は男であり、主体であります。言霊を選る主体ですから言霊エです。大宜都比売とは、大いに宜しい都(宮子)を秘めている、ということ。都とは言霊によって組織された完成体という程の意味であり、言霊ヲであります。建依別とは、建は田の気で言霊のことであり、建依別全部で言霊を選り分けたもの、となり言霊エとなります。
 伊予・讃岐・粟・土佐の四国の名と言霊との関係はまだ分っていませんが、多分四つの面の表現を四つの国に掛けたものと見て間違いないものと思われます。

次に隠伎之三子島を生みき。亦の名は天之忍許呂別。
 言霊オ・エ・ヲ・ヱの精神宇宙に於ける区分。隠伎とは隠り神、三つ子とは三段階目に現われる言霊という意味です。天之忍許呂別とは先天構造における(天)大いなる(忍)心(許呂)の部分ということ。言霊オ・ヲ(経験知)と言霊エ・ヱ(実践智)とは文明創造の上で最も重要な精神性能であります。

次に筑紫島を生みき。此の島も亦、身一つにして面四つ有り。面毎に名有り。故、筑紫国は白日別と謂ひ、豊国は豊日別と謂ひ、肥国は建日向日豊久士比泥別と謂ひ、熊曽国は建日別と謂ふ。
 父韻である言霊チイキミシリヒニの占める位置を筑紫島といいます。筑紫は尽くしの謎、八つの父韻は現象を生む人間の創造知性の基本である律を尽くしています。古事記神名で言えば、宇比地邇神・妹須比智邇神・角杙神・妹生杙神・意富斗能地神・妹大斗乃弁神・於母陀琉神・妹阿夜訶志古泥神の宝座ということです。
 八つの父韻は言霊イ(伊邪那岐神)の実際活動のリズムです。それでこの島は「身一つ」と言われます。「面四つ」とは八つの父韻は、実は作用・反作用の関係にあるチイ・キミ・シリ・ヒニの壱対四組の知性の律であることを示しています。「身一つにして面四つ有り」の意味をお分かり頂ける事と思います。
「故、筑紫国は白日別と謂ひ、豊国は豊日別と謂ひ、…」という四つの国の区分を並べて見ますと次のようになります。

筑紫国 白日別 言霊シリ
豊国 豊日別 言霊チイ
肥国 建日向日豊久士比泥別 言霊ヒニ
熊曽国 建日別 言霊キミ
           

 さて並べて書きました四列のそれぞれの国の名または別の名と父韻言霊との関係に御注目下さい。白日別の「しら」と父韻シリ、豊日の「とよ」と父韻チイ、熊曽の「くま」と父韻キミ、これら三組の二字同志が共に五十音図の同じ行であることにお気付きになることと思います。古事記の著者太安万侶はこの様にして国名または別の名によって、それが指示する父韻言霊を暗示したのです。そしてその暗示が余りにも露骨で直に分る謎に過ぎる、と感じたのでありましょうか、父韻ヒニに対してだけは肥国・建日向日豊久士比泥別という長い名前を使いました。
 しかしこの長い名前も、父韻ヒニを示す古事記の神名である於母陀琉神・妹阿夜訶志古泥神の謎が解けてしまった今では、容易にその暗示を解くことが出来ます。於母陀琉とは面足で「心の内容の表現が心の表面いっぱいに完成する韻」であります。その意志の働きは「建日向」として言霊が日に向って行く、という表現で示されています。また日豊久士比泥とは奇しき霊の音の意味で、「阿夜訶志古」即ちあやに畏き音と附合しているではありませんか。
 以上筑紫島の「身一つにして面四つ」の四つの面について説明しました。

 

次に伊伎島を生みき。亦の名は天比登都柱と謂ふ。
 言霊イ・ヰの精神宇宙における位置区分、伊邪那岐・美二神の宝座。伊伎とは伊の気でイ言霊のことであります。天比登都柱とは天の一つの柱のこと。言霊イとヰは絶対観の立場では二霊が一体となって、人の心の宇宙であるアオウエイの五段階の宇宙を縦の一つの柱として統一しています。アオウエイとワヲウヱヰは一つになって天之御柱となります。この天之御柱(天の一つの柱)は五段階の宇宙構造を人間が自覚した姿として、精神宇宙の今・此処(中今)にスックと立っているのです。心のすべての現象はここから現われ出て、また此処に帰って行くのであります。

 次に津島を生みき。亦の名を天之狭手依比売と謂ふ。次に佐渡島を生みき。次に大倭豊秋津島を生みき。亦の名は天御虚空豊秋津根別と謂ふ。故、此の八島を先に生めるに因りて、大八島国と謂ふ。然ありて後、還り坐す時、吉備児島を生みき。亦の名は建日方別と謂ふ。次に小豆島を生みき。亦の名は大野手比売と謂ふ。次に大島を生みき。亦の名は大多麻流別と謂ふ。次に女島を生みき。亦の名は天一根と謂ふ。次に知訶島を生みき。亦の名は天之忍男と謂ふ。次に両児島を生みき。亦の名は天両屋と謂ふ。
 天津磐境と呼ばれる心の先天構造の五段階層の区分を示す五つの島々の誕生に続いて、古事記の島生みの章では津島・佐渡の島・大倭豊秋津島、次に吉備の児島・小豆島・大島・女島・知訶島・両児島の島々を生みます。これらの島のうち大倭豊秋津島までの三島はこれより生れます三十二子音の区分であり、次に続く六島はそれまでに現出した合計五十音言霊の整理・運用法を示す区分のことであります。これらの島々についての説明はそれぞれの言霊・整理法の区切の処で一つ一つ説明することに致します。