現代スサノウの言霊 

三貴子

 古事記上つ巻(神代巻)のお話が「天地初めて發けし時、高天原に成りし神の名は、天之御中主神(言霊ウ)、…」に始まり、九十七番目の神である底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の所まで進んで来ました。後は言霊学の総結論である天照大神、月読命、建速須佐男命の誕生を残すだけになりました。三貴子と呼ばれる三神を加えますと、ここに初めより数えて丁度百の神様が出て来る事になります。
 この百の神様が、人間の心を構成している要素である五十個の言霊と、その運用法五十計百の原理(道)を示していますので、初めの天之御中主神より百番目の建速須佐男命までを言霊百神と呼んでいます。現在の神社神道はこの事を人間社会の道徳の鏡となる百の道の表徴として鏡餅を御神前に飾っています。
 総結論となる三貴子誕生の前提となる筒の男三神まで、話は五十個の言霊の創生とその運用法の確認という一連の話を進めて来たわけですが、何分にも仕事が微に入り細に渉って来ましたので、読者の皆様が九十七番目の神までの話を一連の事柄として頭の中で整理し切っていらっしゃるであろうか、という懸念が残ります。そこで、初めから今迄の話を項目毎にまとめて、簡単なお復習をしておく事にしましょう。 古事記上つ巻(神代巻)のお話が「天地初めて發けし時、高天原に成りし神の名は、天之御中主神(言霊ウ)、…」に始まり、九十七番目の神である底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の所まで進んで来ました。後は言霊学の総結論である天照大神、月読命、建速須佐男命の誕生を残すだけになりました。三貴子と呼ばれる三神を加えますと、ここに初めより数えて丁度百の神様が出て来る事になります。
 この百の神様が、人間の心を構成している要素である五十個の言霊と、その運用法五十計百の原理(道)を示していますので、初めの天之御中主神より百番目の建速須佐男命までを言霊百神と呼んでいます。現在の神社神道はこの事を人間社会の道徳の鏡となる百の道の表徴として鏡餅を御神前に飾っています。
 総結論となる三貴子誕生の前提となる筒の男三神まで、話は五十個の言霊の創生とその運用法の確認という一連の話を進めて来たわけですが、何分にも仕事が微に入り細に渉って来ましたので、読者の皆様が九十七番目の神までの話を一連の事柄として頭の中で整理し切っていらっしゃるであろうか、という懸念が残ります。そこで、初めから今迄の話を項目毎にまとめて、簡単なお復習をしておく事にしましょう。

「天地初めて發けし時」

 古事記の上巻の初めの言葉である「天地初めて發けし時」とは、現代科学が研究対象としている様な、私達の眼前に展開している広大な宇宙や、星雲・天の川・太陽・星・地球・月と言ったものどのようにして出来た来たか、という問題ではなく、私達自身が自らの心の内に省みて、そこに広がっている心の宇宙、その宇宙の中に私達の心が動き始める、その心の働きの始まり、の事を言っているのだ、という事が説明されました。心の中で初めに動きの事の説明ですから、その心の始まる瞬間こそ私達が生きている今・此処であり、古神道で中今と呼びました。古事記は眼前にある外界の宇宙を説くのではなく、飽くまで私達の心の宇宙、その構造と働きの内容を説いているのであります。

「先天の構造」

心の動きの第一の段階は、心が現象として現われる以前の、心の先天構造の発現です。古事記で「天津神諸命」と呼ばれるこの先天構造は十七個の天名と名付けられた言霊で構成されています。その十七個の母音、半母音、父韻、親音の別があります。共に決して現象として現われることはなく、観想と思惟によってのみ把握される領域のものです。「先天の構造」

「子音創生」

 第二の段階は伊邪那岐・美二神の意志の発動によって、先天構造が活動を開始して、真名(真奈)と呼ばれう後天三十二個の創生です。子音とは後天である目に見える現象の最小要素のことです。そして先天十七個と後天三十二個の言霊が火之迦具土神言霊ンと呼ばれる神代表音文字で書き表され、粘土板の上に刻み込まれました。全部で五十個の言霊が確認されました。人間の精神生命を構成するのはこの五十個の言霊であり、それより多くも少なくもありません。 「子音創生」

「迦具土神の検討・整理」

 第三の段階は、迦具土神として書き表された人間の心と言葉の究極要素である言霊麻邇がどのように人間の心を形造っているのか、の検討・整理が行われました。金山毘古神より和久産巣日神までの操作がこの段階です。これによって言霊により構成される人間精神の構造の初歩的内容が略確認されました。心即言葉であり、心即言霊であり、更に言葉即神であり、神即人である高天原の内容が大体確立した事になります。「迦具土神の検討・整理」

「建御雷之男神の確立」

 第四の段階は、人間の心の構成要素として確認された言霊五十音がどんな組織を持ち、どの様に動き働くのか、それ故、五十音を人はどの様に運用・活用したらよいか、の検討と確認の段階です。石拆神より闇御津羽神までの操作がこれに当ります。この検討によって人類文明上の理想の精神構造である建御雷之男神という音図が伊邪那岐命の精神内容のみの真理として確立されたのでした。「建御雷之男神の確立」

「黄泉国に於ける伊邪那岐・美二神の交渉と離婚」

 第五の段階は、人間の主観内のみの真理である建御雷之男神なる音図が、人類文明創造上の如何なる場合に適応しても通用する主観と客観双方の真理であることを検討する為の前提として、外国の文化創造の目的で黄泉国に去った美命を父神岐命が追いかけて行き、黄泉国の文化に接した後、岐命が高天原に逃げ帰って来るまでの段階です。その結果、純精神真理と客観世界の真理との間に越すべからざる結界のある事を確認して、岐・美二神の言戸度し(離婚)となりました。「黄泉国に於ける伊邪那岐・美二神の交渉と離婚」

「禊祓」

 伊邪那岐命は、黄泉国で経験して来た外国の学問・文化を心に留めながら、自ら客観世界を包含した主観である唯一世界身である伊邪那岐大神という立場に立ち、自らの内容を示す天津菅麻の上に主観内真理として確立された建御雷之男神なる音図を衝立船戸神と斎き立てて、御身の内容としての外国の学問・文化の禊祓を実行する過程、これが第六の段階です。衝立船戸神以下上筒之男命までがその操作であります。この操作によって外国の学問・文化を摂取して、それぞれに人類文明創造上の処を得しめる事が出来る人間精神の最高の規範(鏡)の内容が、精密な五十音言霊の配列として確認された事になります。「禊祓」

 以上、古事記上巻の「天地初めて發けし時、…」より上筒男命まで、言霊学の結論となる三貴子の誕生の前提の内容の解明まで、言霊学の観点からの人間の心の操作を段階的に述べ来ました。。
 これよりいよいよ三貴子誕生の結論に入ります。

 是に左の御目を洗ひたまふ時に、成れる神の名は、天照大御神。次に右の御目を洗ひたまふ時に、成れる神の名は、月読命。次に御鼻を洗ひたまふ時に、成れる神の名は、建速須佐之男命。
 右の件の八十禍津日神以下、速須佐之男命以前の十四神は、御身を滌ぐに因りて生れる者なり。

 人類文明を創造して行く上での外国の学問・文化の理想的処理法として、法律・中津・上津の三綿津見神と、底・中・上の三筒男命との内容を確認して、言霊エオウに即した人類文明創造の最高規範(鏡)が出現することとなります。古事記の文章には左の目・鼻・右の目と書かれていますが、これは音図を人の顔に見立てた時の母音の位置を示したものです。(著者太安万侶の茶目っ気如何たる処です)では誰の音図か、と言えば勿論伊邪那岐神の天津菅麻です。
 菅麻音図は母音がアオウエイと並んでいます。そのうち両側のアとイを除いた中つ瀬のオウエを人の顔の目と鼻に見立てますと、図のようになります。この中で、左の目に当る言霊エの実践智の究極の完成体として、五十音言霊麻邇を運用・操作することによって人類文明を創造して行く最高の規範(鏡)が出現します。天照大御神の誕生です。その精神構造を五十音言霊を以て表わしたものが天津太祝詞(音図)と言い、その中心となる内容はエ・テケメヘレネエセ・ヱです。その内容を器物として表徴したものを八咫の鏡と呼んでいます。

 伊邪那岐大神の右の目に当るのは言霊オ、人間の経験知・悟性です。禊祓によってこの人間天与の経験知の性能を活用して、人類の精神的学問・文化を整理・コントロールして行く最高の精神構造が確立・確認されました。月読命の誕生です。その精神構造の内容を言霊麻邇で表わすと、オ・トコモホノヨソ・ヲとなります。

 顔の鼻に当るのは言霊ウ、人間の五官覚、またそれに基づく欲望です。禊祓の操作によってこの欲望性能を活用し、その欲望性能から生れる来る産業・経済活動を整理コントロールして、人類社会に物質的繁栄をもたらす最高の精神構造を確立・確認することが出来ました。八十禍津日神の誕生です。その精神内容を言霊麻邇を以て表わしますと、ウ・ツクムフルヌルユス・ウとなります。

 言霊エオウから発する人間の基本の性能によってそれぞれの文化の分野をコントロールする精神の鏡として誕生しました天照大御神・月読命・建速須佐男命の三神を三貴子と呼びます。言霊布斗麻邇の学問の総結論です。前にもお話しましたが、古事記冒頭の天之御中主神より建速須佐男命までの丁度百個の神名が出て来ます。最初より五十番目までが心の宇宙の構成要素である言霊五十音を表わし、五十一番目より百番目の建速須佐男命までの五十神が、言霊五十音を操作して人間理想の行動規範(鏡)を作るまでの言霊操作法五十を表わします。合計百の道が神道の鏡餅の実体です。この百個の学問の行程は、同時に五母音、四半母音、八父韻、(親音)から三十二の現象子音を読者御自身の心の中に確認自覚して行く道であることも前にお話しました。

両児島を生みき。亦の名は天両屋と謂ふ。
 以上八十禍津日神より八十禍津日神までの十四神が心の宇宙に占める区分を両児島または天両屋と言います。両児または両屋と両の字があるのは、この言霊百神の誕生の最終段階において、上段の五十音言霊図と下段の五十の操作法の二つの段(両屋)が完備され、古神道の百の道の原理が完成されたからであります。この両児島で、先に古事記が「島生み」の項で示した島の全部の宇宙の位置と説明とを終えたことになります。

此の時伊邪那岐命、大く歓喜びて詔りたまひけらく、「吾は子生み生みて、生みの終に三はしらの貴き子を得つ。」とのりたまひて、即ち御頸珠の玉の緒母由良邇取り由羅迦志て、天照大御神に賜ひて詔りたまひけらく、「汝命は、高天の原を知らせ。」と事依さして賜ひき。故、其の御頸珠の名を、御倉板挙之神と謂ふ。次に月読命に詔りたまひけらく、「汝命は、夜の食国を知らせ。」と事依さしたまひき。次に建速須佐之男命に詔りたまひけらく、「汝命は、海原を知らせ。」と事依さしたまひき。

禊祓の行が終り、主観内でのみ観ぜられた真理である建御雷之男神の五十音言霊図が、名実共に主観・客観双方に適用して誤ることのない天津太祝詞と言われる音図として確立・認識が完成しましたので、禊祓の際の宇宙身、御身としての伊邪那岐大神から、ここでは以前の伊邪那岐命に戻ります。そして「私は人間天与の原始の性能である天津菅麻の言霊の神として、大事忍男神以下種々の言霊に関する神々を生んで来て、とうとう言霊原理の結論である三柱の貴子、天照大御神・月読命・建速須佐男命を生むことが出来」と大層喜びました。
 この事を古事記の神話としてでなく、言霊原理の発見・研究の歴史という実際の問題として考えてみましょう。日本人の遠い祖先が、何時頃の時代であったか、初めて「人間には心がある。心とは何だろう」ということに関心を持ち、更に「心と言葉との関係は」の問題を考え、心の真理を求める大勢の同志との協力の下に、幾百年、幾千年という長い年月の研究の末、終に心の先天構造から後天現象の要素、その構造と働きの様相を明らかにし、結論として言霊エオウの性能による人類文明創造のための最高規範(三貴子)を発見し得た時の我々の先祖の喜びが如何に大きかったか。古事記の文章は簡単明瞭にそれを教えて呉れます。

 更にもう一つ見方を変えて考えて見ましょう。古事記は初めの天之御中主神より九十七番目の底筒之男命まで、言霊原理の結論である天照大御神・月読命・建速須佐男命の誕生に至る経緯を詳しく紹介して来ました。その経過はまた一人の人間が言霊麻邇の原理をマスターし、自覚に至る方法をも明示しています。現代に生きる人が、古事記によって言霊学を学び、五十音言霊とその操作法を本解説に従って自らの心の中に見つめ、自らの中に言霊原理を築いて行くならば、必ずやその人は三貴子の精神構造を理解・自覚することが出来るでありましょう。と同時にその人は、現代社会の一員として、また遠い昔、日本と世界歴史創造の経綸を組織した私達祖先の霊知り達と同様の霊知りの人として、この大転換にある世界人類の命運を背負って立つ人となることでありましょう。

 言霊原理を表わす言霊百神の道(百道)はすべて整いました。伊邪那岐命の子生みの仕事は確かに終わりました。ではこれで言霊神である伊邪那岐命の話も終わるのかな、と思うとそうではありません。子生み終えた末に、伊邪那岐命は三貴子に文明創造上の明らかな三権分立と、その運用のための驚くべき精巧な方策を用意するのです。私達日本人の祖先は、言霊原理の発見と、その原理の運用による人類歴史の創造に関して、人間生命全般の視野と、人類の長い歴史の究極の目的とを洞察して巧妙な手段を適用したのです。それは今から説明申し上げようとする天照大御神・月読命・建速須佐男命に対する三権分立の処置であり、更に言霊の原理の三柱の神のうち唯一人にしか与えなかった、という事であります。

三権分立

即ち御頸珠の玉の緒母由良邇取り由羅迦志て、天照大御神に賜ひて詔りたまひけらく、「汝命は、高天の原を知らせ。」と事依さして賜ひき。故、其の御頸珠の名を、御倉板挙之神と謂ふ。
 伊邪那岐命は、言霊エオウの性能に即した最終的結論に基づいて、天照大御神・月読命・建速須佐男命の三柱の神に、人類文明創造上の三つの領域にそれぞれ分担主宰する責任体制をはっきりと定めたのでした。天照大御神には高天原を、月読命には夜の食国を、建速須佐男命には海原を知らせという命令です。この事を古事記では三貴子の三権分立と呼んでいます。
 高天原とは言霊麻邇で結界され、言霊原理の幸倍う純粋の大和言葉に表現されるところの人間精神の中枢領域のことです。そして「御頸珠の玉の緒母由良邇取り由羅迦志て、天照大御神に賜ひて詔りたまひけらく、…」とありますように、高天原を治らす手段・自覚として五十音言霊の自覚として五十音言霊の自覚を天照大御神にだけ授けたのでした。御頸珠の頸とは組む霊の謎です。霊とは言霊のこと。それを組んで大和言葉を作ります。「御頸珠の玉の緒」とありますから、五十音言霊を珠と見て、それを糸でつなげ、ロザリオにしたのもで、三種の神器のうちの八坂の勾玉に当ります。
「其の御頸珠の名を、御倉板挙之神と謂ふ」とは、御倉板挙とは御厨の棚の意で、天照大御神が知食す精神の食物を並べておく台所の棚という謎であり、五十音言霊図の事を指します。
 さて、伊邪那岐大神は、前段の禊祓に於いて三柱の貴子の中心となる精神内容を、それぞれエ・テケメヘレネエセ・ヱ、オ・トコモホロノヨソ・ヲ、ウ・ツクムフルヌユス・ウの三筒の男神として言霊麻邇によって確認しています。ですから伊邪那岐命は天照大御神に言霊原理を表わす御頸珠を与えて高天原を治めよ、と命令した事は了解出来ます。けれど同様に言霊をもってその中心内容を確認した月読命、建速須佐男命に言霊原理を与えることがなかった、という事をどう解釈したらよいでしょうか。

次に月読命に詔りたまひけらく、「汝命は、夜の食国を知らせ。」と事依さしたまひき。
 月読命には「夜の食国を自らの統治の領分として治めよ」と命令しました、の意。月読命の実体は言霊麻邇でオ・トコモホロノヨソ・ヲと確認されています。ですから、月読命に天照大御神同様言霊原理が与えられるならば、月読命の実体とその表現である言葉は表裏一体のものとなるわけです。実相即言葉の原理が通用します。ところが月読命には言霊原理が与えられませんでした。その結果はどうなるでしょうか。月読命という名前の由来がそこから出て来ます。月読の月は付属するの意。誰に付属するか、というと、高天原の言霊原理に付属して、それを読む、即ち説明するの意となります。または太陽に譬えられる天照大御神の光を受けて照る月の如く、実体である言霊麻邇をうすぼんやりと映し出す領域とも表現できます。
 言霊麻邇を使わずにその実態を表現・説明するために、経験知に基づく概念とか、表徴、比喩等が用いられることとなります。人間の経験知による概念・比喩・表徴等に基づく物事の判断・説明は、一面一面が歪んだ多面鏡の像のごとく、どんなに詳しく写し出そうとしても、物事の実体そのものを捉えることが出来ない、という宿命を負うこととなります。しかしこの言霊オより現出する働きも人間に与えられた性能の一つとしてその領域が定められたのでした。

次に建速須佐之男命に詔りたまひけらく、「汝命は、海原を知らせ。」と事依さしたまひき。
 建速須佐之男命とは、竹(建)がすさまじい(速須)速さで伸びて行くような心(男)の人、の意に解釈できます。言霊ウから現出する現象である人間の欲望は、これでよいという事のないすさまじいものです。この人間の五官感覚に基づく欲望性能はやがて産業・経済を発展させることとなります。海原とは言霊ウの名の領域、即ち物を生産する世界を意味するでしょう。
 また須佐男の須佐とは主(須)である天照大御神を佐(たす)ける、と読むことができます。須佐男命が主宰する産業・経済がやがて大きな発展を遂げた暁、主である天照大御神の高天原の五十音麻邇の精神原理と共に、車の左右の両輪の一つとなって人類の福祉に貢献する事が出来る分野でもあるわけです。
 建速須佐之男命の働きの実体はウ・ツクムフルヌユス・ウと確認されています。けれどこの命にも言霊原理は授けられませんでした。その結果、この命の海原の領域が用いたものは数の原理でありました。

 以上で、古事記神話が告げる言霊百神の謎解きのお話を終了することといたします。御熱読有難う御座いました。最後に私達の先祖が言霊原理を発見し、三貴子に与えた三権分立の制度が、人類の実際の歴史の中でどの様に移り変わって行ったか、をお話しましょう。
 人間の精神内における三貴子の三権分立が定められてから長い年月が経ち、人類の歴史の幾多の変遷の後、その精神的三分担は、地球上の三領域の分担として現れて来ます。
 天照大御神は高天原、心としては日本人の精神の中枢部に潜在意識として、場所としては日本皇室の賢所に天皇家の秘密となって保存・伝承され、やがて来るべき第三文明時代建設の成否の鍵としての活用の出番を待つ事になりました。月読命は自らの言霊オの分野に言霊アの分野を結びつけ、その概念・比喩・表徴の手段を用いて人類の宗教・哲学・芸術の文化を作り上げて行きます。その活躍地域は主として東洋であります。須佐男命は自ら言霊ウの性能に、言霊オの経験知を客観世界に向けて取り入れ、自然科学と産業・経済を発展させました。その活動領域は最近までは西洋でありました。以上、三貴子の精神的三権分立は、歴史の進行と共に地球上の三区分(日本・東洋・西洋)として発展しました。
 言霊原理は天照大御神にのみ与えられました。その結果、大御神は自らの高天原は勿論、月読命の宗教・哲学・芸術の分野と、須佐男命の自然科学・産業・経済の分野の状況とを全て、麻邇の相に於いて把握・統括し、世界文明創造の神として日本の高天原に君臨しています。言霊原理は言霊エに於いてのみ運用する事が出来るものだからです。