現代スサノウの言霊 

後日譚

 古事記神代巻の最初に現われる天之御中主神より三貴子、天照大御神・月読命・建速須佐男命の誕生とその三権分立までで、人間の心の構造である言霊五十個とその操作方法五十、計百個の原理を示している所謂言霊百神の謎解きは全て終わりました。現在神社神道が御神前に供える上下二段の鏡餅(百道)に関する内容とその理解は全て完成した事になります。ところが古事記の最後の章「禊」には三権分立の記事の後に数行須佐男命の反逆の事件が付け加えられています。そこで、この神話の謎釈きの話を「古事記と言霊」の後日譚としてお話することとします。先ず古事記の文章を載せます。 古事記神代巻の最初に現われる天之御中主神より三貴子、天照大御神・月読命・建速須佐男命の誕生とその三権分立までで、人間の心の構造である言霊五十個とその操作方法五十、計百個の原理を示している所謂言霊百神の謎解きは全て終わりました。現在神社神道が御神前に供える上下二段の鏡餅(百道)に関する内容とその理解は全て完成した事になります。ところが古事記の最後の章「禊」には三権分立の記事の後に数行須佐男命の反逆の事件が付け加えられています。そこで、この神話の謎釈きの話を「古事記と言霊」の後日譚としてお話することとします。先ず古事記の文章を載せます。 古事記神代巻の最初に現われる天之御中主神より三貴子、天照大御神・月読命・建速須佐男命の誕生とその三権分立までで、人間の心の構造である言霊五十個とその操作方法五十、計百個の原理を示している所謂言霊百神の謎解きは全て終わりました。現在神社神道が御神前に供える上下二段の鏡餅(百道)に関する内容とその理解は全て完成した事になります。ところが古事記の最後の章「禊」には三権分立の記事の後に数行須佐男命の反逆の事件が付け加えられています。そこで、この神話の謎釈きの話を「古事記と言霊」の後日譚としてお話することとします。先ず古事記の文章を載せます。

 故、各依さし賜ひし命の随に、知らし看す中に、速須佐之男命、命させし国を治らずて、八拳須心の前に至るまで、啼き伊佐知伎。其の泣く状は、青山は枯山如す泣き枯らし、河海は悉に泣き乾しき。是を以ちて悪ぶる神の音、狭蝿如す皆満ち、万の物の妖悉に発りき。故、伊邪那岐大御神、速須佐之男命に詔りたまひけらく、「何由かも汝は事依させし国を治らずて、哭き伊佐知流。」とのりたまひき。爾に答へ白しけらく、「僕は妣の国根の堅州国に罷らむと欲ふ。故、哭くなり。」とまをしき。爾に伊邪那岐大御神、大く忿怒りて詔りたまひけらく、「然らば汝は此の国に住むべからず。」とのりたまひて、乃ち神夜良比爾夜良比賜ひき。故、其の伊邪那岐大神は、淡海の多賀に坐すなり。

 字句を追って解釈を進めて行く事にしましょう。

 故、各依さし賜ひし命の随に、知らし看す中に、
 日本人の祖先の長年月の研究と努力の末に、言霊布斗麻邇の原理が、天照大御神・月読命・速須佐男命の三貴子の誕生と、その人間精神における三権分立として確立されました。天照大御神の高天原とは、言霊麻邇によって結界された清浄無垢な精神の中枢世界、月読命の夜の食国とは麻邇の原理を使わずにその消息を概念・比喩・象徴等を以て表現し説明する領域、速須佐男命の海原とは、高天原の生命調和の精神に則った物質生産とその分配の仕事の世界であります。この三位一体をなし、天照大御神が正位、月読命は右の座、速須佐男命は左の座に位して、高天原日本に於いて三位協力して長い年月の間、平和な精神文明時代を作り上げて行ったのでした。

速須佐之男命、命させし国を治らずて、八拳須心の前に至るまで、啼き伊佐知伎。
   三貴子の三位一体の協力による精神文明時代は邇々芸王朝・彦穂々出見王朝と長い年月が経過しました。そして時代は鵜草葺不合王朝の時代に入ります。ここに至って、その時まで高天原の調和の精神の下で物質世界の生産・分配の仕事に従事していた速須佐男命の心の中に、高天原の精神とは全く異なった心が沸き起こって来たのでした。「姉君天照大御神の言霊麻邇の原理は、人間の心の原理法則として完全無欠のものです。けれど私が分担を命じられた海原の物質世界を研究するためには、麻邇の法則とは全く別個の原理と方法があるように思えて仕方ない。私はどんな事をしてもこの領域の真理を究めたい。」と思ったのです。そして高天原の三位一体の自らの分担の仕事には見向きもしなくなったのでした。
「八拳須心前に至るまで、啼きいさちき」とある八拳須の須(鬚ひげ)とは霊気の謎です。霊は言霊、その気ですから父韻をさします。八拳はこの場合八つの父韻を示します。心前に至るまで、とは自らの心を満足するまで、の意。啼きいさちき、とは八父韻は古事記前文にあります鳴き沢ぐ神でありますので、その八つの父韻の配列をどうしたらよいか、声に出して探って見た、の意です。
 高天原精神界の基本の心構えは父韻でチキミヒリニイシ(タカマハラナyッサ)と示されます。この心構えは一切のものを摂取してこれに処を得しめる精神です。ところが、速須佐男命は「物質とは何か」を探究するためには、この調和の心構えでは適当でない事に気付いたのです。物事を操作して出発点より結論に導く手順を示す八つの父韻の配列を、高天原従来の配列の心構えとは全く違った配列を求めて、新しい研究手法を探って、タカマハナヤサの配列を目茶目茶にする行いを始めたのです。

其の泣く状は、青山は枯山如す泣き枯らし、河海は悉に泣き乾しき。是を以ちて悪ぶる神の音、狭蝿如す皆満ち、万の物の妖悉に発りき。
 高天原は一切のものを摂取してそれぞれに処を得しめる大調和の精神の世界です。そこにすべての前提条件を排除して、唯現象を自らの経験知に従って破壊分析して、その性質を探る法則は何であろうと、速須佐之男命の活動(泣く状)は猛烈を極めたのでした。「青山は枯山なす泣き枯らし、河海は悉に泣き乾しき」速須佐之男命の研究願望は破壊を慾しいまま、高天原に従来にない異物をもたらす事となりました。この速須佐之男命の求める物事を処理する手法を逆肉強食の世相を表わす天津金木音図のア段、アカサタナハマヤラワの配列から悪ぶる神と呼びます。この悪ぶる手法が高天原の此処・彼処に起り、それは丁度五月の蝿の群れる(狭蝿)如く、高天原に種々の調和を乱す事が起きました。

故、伊邪那岐大御神、速須佐之男命に詔りたまひけらく、「何由かも汝は事依させし国を治らずて、哭き伊佐知流。」とのりたまひき。爾に答へ白しけらく、「僕は妣の国根の堅州国に罷らむと欲ふ。故、哭くなり。」とまをしき。<br>  そこで伊邪那岐大御神は速須佐之男命に質(ただ)しましいた。「お前は分担を命令された高天原の生産の仕事(ウの名の原)をおろそかにして、何故目茶目茶な手法を探って騒ぐのだ」と。速須佐之男命は答えました。「私自身、物とは何かを研究する破壊の手法は、調和世界の高天原で行うべきでない事は知っています。ですから、高天原を去って行った母親、伊邪那美命の根の堅洲国に行き度いものと、泣いているのです」と。根の堅洲国とは根の片洲国の意。音は言葉。言葉を分ける主観と客観の片方である客観世界の言葉が静まっている(洲)の国。即ち黄泉国外国のことである。

爾に伊邪那岐大御神、大く忿怒りて詔りたまひけらく、「然らば汝は此の国に住むべからず。」とのりたまひて、乃ち神夜良比爾夜良比賜ひき。
 「忿怒り(いか)」とは親神伊邪那岐命が命令をきかない息子速須佐之男命の所業を「怒って」とも解釈し得るし、また「五神(いか)らして」と解釈して、五神であるアオウエイ五母音の次元界層のそれぞれの相違が起す現実の歴史の推移より判断して、と解釈することも出来ます。親神は「お前が志す物質世界探究の仕事は此処高天原で行うべきことではない。汝は外国へ行け」と言って、速須佐之男命を高天原より追放したのでした。
 ここに速須佐之男命と呼ばれる所期の科学研究集団が日本より外国に向けて出発して行ったのでした。今より訳五千年以前のことであります。

故、其の伊邪那岐大神は、淡海の多賀に坐すなり。
 かくて、言霊布斗麻邇の研究集団伊邪那岐大御神は自らの全ての仕事をやり終えて、淡路の多賀にお住まいになられています。淡路とは主体アと客体ワを結ぶ道、双方を箍(多賀)のように締めて結ぶ働きである八父韻の原動力として活動しています、の意。(図参照)
 古事記は速須佐之男命の反逆と高天原からの追放を語るこのこの一節をを、次に続く天照大御神と速須佐之男命の「警約(うけひ)」によって更に詳しく説明しています。その上で黄泉国に物質文明創造のために出発していく速須佐之男命の基本精神の構成を「穀物の種」なる短い挿入文によって呪示する章へと続くことになります。