現代スサノウの言霊 

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歴史の黎明(言霊原理の発見)

 人類の歴史の始まりは何時でありか。諸説がある。しかし究極的には歴史の始まりは言葉と数と文字の発生の時であるということが出来る。言葉がなければ人間の文化はなく、又それを保持・伝達・継承することもできない。言葉は文明の母(いろは)であり、数は文明の父(かぞ)である。
 人類は大昔何時の頃からか自分の中心の中なる心の存在に気付き、その心の内容を把握し表現するいろいろな方法を考案し始めた。言葉や図形や符号等である。その考案・研究の中で心と言葉との関連の問題はその中心課題であった。その研究には長い長い年数を要したことであろう。この時が人類の精神文明の揺籃時代ということが出来る。何時しか心と言葉の研究者達が一ヶ所に集まったり研究・討論が行われるようになった。古事記・日本書記が形而上的に高天原と呼んでいることからして多分地球上の高原地帯…チベット・パミール・アフガニスタン辺りであったろうか。遂にその研究集団は人間の心の構造とその構成要素並びにその運用法を余す所なく解明することに成功した。その時期は現在より約八千年及至一万年以前と推定される。スメール文明より以前のことである。
 解明された精神原理によれば、精神の究極構成要素先天十七・後天三十二・文字化一合計五十であり、これにアオウエイ五十音をそれぞれあてはめて言霊と呼んだ。五十の言霊の運用操作法五十総合計百箇の原理である。又その五十音言霊とその操作によって人間が持つ五つの性能の典型的な規範が定められた。言霊イに則した構造を表わす天津菅麻音図、言霊エの操作法として赤珠音図、言霊ウの操作法として天津金木音図である。
 又社会を運営して行く上での協力して行くべき三つの異なる分野がはっきり示された。三権分立である。そのことを古事記は次の如く示している。
 この時伊耶那岐の命大く歓ばして詔りたまひしく「吾は子を生み生みて、生みの終に、三柱の貴子を得たり」と詔りたまひて、すなはちその御頸珠の玉の緒ももゆらに取りゆらかして、天照大神に賜ひて詔りたまはく、「汝が命は高天の原を知らせ」と、言依さし賜ひき。かれその御頸珠の名を、御倉板挙の神といふ。次に月読みの命に詔りたまはく、「汝が命は夜の食国を知らせ」と、言依さしたまひき、次に建速須佐の男の命に詔りたまはく、「汝が命は海原を知らせ」と、言依さしたまひき。
 以上が古事記神代の巻に置ける三柱の貴子である天照大神・月読命・建須佐男命の三権分立の宣言であるが、この世界の経営における精神原理として三権分立は以後の人類歴史を決定して行く重要な因子として働くこととなる。ここで高天原とは言霊布斗麻邇の原理である言葉の幸倍の国のことであり、夜の食国とは天照大神の保持する言霊の光のない夜のない夜の国の思想の基の学問、即ち宗教・哲学・芸術の分野のことであり、海原とは言霊ウの名の領域(はら)である産業・経済・科学の分野のことである。それぞれの分野を言霊で示せば天照大神は言霊イ・エ、月読命言霊ア・オ、建速須佐男命は言霊ウ・オの領域である。そして以上の言霊原理の発見者である聖(ひしり)の集団の代表者の名前を古事記で伊耶那岐大神と呼ぶのである。