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日本の皇室の将来について

 ここで一言日本の皇室のあり方並びにその将来について述べよう。先に書いた如く外国に於ける覇道権力闘争時代の開始に呼応して、日本に於ける言霊布斗麻邇の原理の使用を停止し覇道政治の社会を推進する宏謨を決定されたのは神倭王朝一代神武天皇であり、その宏謨を実際に政治の面で実行に移したのは十代崇神天皇であった。言霊原理の形而下的象徴である三種の神器、特に天照大御神を表わす八咫鏡を天皇座右より伊勢神宮に移し神として祀ったのである。同床共殿制度の廃止であった。爾来日本の天皇は言霊原理の自覚者であり理想政治の責任者たるの地位を放棄して伊勢神宮の神主であり日本民族の宗家という国民信仰の対象者の地位に下ったのである。古事記・日本書記にある「天壌無窮の神勅」は宗家としての資格の血統の上での証明となった。それにより二千年間皇室は形而下的器物である三種の神器の護持者としてその皇統を持続して来たのである。
 昭和二十年日本は太平洋戦争に敗北し、翌二十一年一月昭和天皇は自ら三種の神器の神勅を「単なる神話に過ぎぬ」として否定され宣言されたのであった。即ち三種の神器と日本天皇とは直接関係なくなったのである。そして新しい憲法によって天皇は〝国民統合の象徴〟なる政治の一機関以外の何ものでもないものとなった。この事実は長い日本民族の歴史の上に如何なる意義を持ったこととなるのであろうか。
 先づ第一に神武天皇依頼百二十四代続いて来た神倭王朝は前昭和天皇に至って終焉を告げた事である。仏教的表現を用いるならば邇々芸王朝より葺不合王朝までの期間は言霊布斗麻邇の原理が実際に政治の面で運用されていたのであり正法の時代ということが出来る。神武天皇特に十代崇神天皇より昭和天皇までは原理の運用は廃止され、原理は唯伊勢神宮の神として祀られ、拝む対象としてのみの信仰存在であったから、この期間は像法の時代であった。昭和二十一年一月の昭和天皇の勅使否定の宣言はこの信仰の対象である三種の神器の意義も消滅させたのである。以来四十数年は布斗麻邇の原理なく原理の表徴物に対する信仰伝承も消え失せた正に末法時代の到来となった。それ故に日本伝統の天皇という意味に於いてこの四十数年は天皇空位時代ということが出来る。これが第二の意義である。〝綸言汗の如し〟(漢書劉向伝)天皇の宣言は一度発したら訂正がきかない。日本の天皇の存在は消滅したのである。日本人の心の中で天皇なる存在は宙に浮いてしまっている。昔の天皇制に帰そうとすることは到底不可能事に属する。
 以上の三種の神器に関する神勅の否定による神倭王朝の終焉とそれを続く天皇の空位時代の事実は、唯そのことのみを見るならば天孫民族としての資格を日本人が喪失した事を意味するとも言えるかも知れぬ。しかしながら天壌無窮萬世一系といわれる天津日嗣即ち人間が人間であるべき究極的精神原理言霊布斗麻邇の見地に立って更に広い視野から考えて見よう。裕仁天皇自身の宣言による三種の神器の神勅の否定とは、その宣言が天皇自身の自覚・無自覚に関係なく、二千年間伊勢神宮にそして宮中賢所に保存護持する形式で守られて来た言霊布斗麻邇の原理の天皇家独専の伝統が伝統が崩れ、広く民間に解放されたことを意味している。伊勢神宮に神として又宮中賢所に天皇家の秘宝として隠匿されて来た言霊原理は昭和二十一年の否定宣言以来皇室の秘密ではなくなり、逆にわれわれ民間人が志さえあれば自由にその人類の宝の山に分け入って自覚奉持することが可能となったのである。日本皇室の秘宝の全世界への公開・開放である。この意味からするならば昭和天皇が人類文明創造の長い歴史の上で果たされた役目は誠に重大なそして劃期的なことであったということが出来る。爾来言霊原理の民間に於ける研究は長足の進歩を遂げることが可能となったのである。言霊原理に関して今や秘密はなく、全く人間の使用する日常の言葉によって表現・説明することができるようになった。この原理の開顕によって人類の第一文明に関しては三千年以前への回帰が成功したのである。原理は全人類の宝となった。日本人の心の底に澱の如く不透明さを残す日本の天皇制の問題は右の如き観点から見直さぬ限りすっきりとした解決の道はない。どんなに日本の政府が今後努力しようと四十数年以前の天皇制の再登場は決してあり得ない。それ故今後将来に於いて名実共に備わった天皇の出現があるとするならば、それは天照大御神の神勅で明示された如く人間が人間である為の究極の原器アイウエオ五十音言霊布斗麻邇の原理を理解体得して全人類のすべての言葉を聞召し、その各々に所あらしめる能力を持つ〝天津日嗣天皇〟でなければならないであろう。それは天孫民族たる日本人の使命の責任者であると同時に、「世界は一つの言なりき」で示される如く地球上の全民族の民主的集合体の道徳的・政治的中枢存在となるものであろう。
 然らば現日本の皇室の将来は如何になるであろうか。過去二千年の間日本の宗家として皇室の先祖が布斗麻邇の原理の秘蔵の任に当り連綿とその責務を全うして来られ、しかも近代に於いて言霊の原理の存在を初めに感得され勉強されたのが明治天皇であられた事を思う時、三千年以前の如く〝霊知り〟であり覚者であり天津日嗣として再び世界の上に立たれる人は現皇室の中から、又はその子孫の中から出現される事を願うのが日本人としての民族感情であろう。しかし少なくとも現在の皇室の中にその出現のきざしを見ることは出来ない。将来は果たしてどうであろうか。
 若し皇室の中から〝覚者〟〝霊知り〟天皇が出現しない場合は日本人の中から、又は日本語を話す人の中から出現する天皇となろうとも一向に構わぬ事ではある。日本の古代の歴史の中にはその如き皇位継承者を数多く見ることが出来るのである。霊知り達の中より互選されそれが全世界から承認されるならば、又立派な資格者というるであろう。
 世界の各宗教が予言している救世主即ち言霊布斗麻邇の自覚による世界政治の経綸者の出現は左程遠い将来のことではない。現世界の歴史の歯車は究極の転換点に向って刻々と速度を増し、多くの人がそれと知らぬ内に画期的状況が日本に又世界の表面に展開する事になるのである。