現代スサノウの言霊 

10.種子

「天空人」がもたらした「種子」の神殿貯蔵と組織的農法

「種子」を交換手段として初めて使用したのは、季節の農作物を組織的に栽培生産し始めた農業革命の地である。この農業文明社会では種子の供給は厳密に管理されており、分配に当たっての計量は精緻を極めていた。神殿の職員は作物の種子を安全に保管する仕事をしていた。無駄な消費や盗難を防ぎ、神の意志に従って種子の供給を調整した。悪しきマネーが登場する以前の政治は、実質的に、富の分配を管理することである。生産手段と種子の利用権は、神殿のエリートたちによって適正にコントロールされていた。社会の正義と取引・交換手段も、神の考えと、神殿の権力を通じて、相互に結びついていた。それゆる神殿は、高利貸しの禁止といっても、さほど深刻に気には留めていなくとも済んだだろう。なにしろ神殿は、「10分の1税(ダイズ)」を取り、生産物に対して一定の収入を得ていた。と同時に、聖職者でない者が高利貸し的な異常な人工的手法で自然のバランスを崩し、社会正義の仕組を歪め、詩的な利益を得ることは厳しい違法としていたのだから。
神話と伝説によると、空から機械(飛行物体)に乗って舞い降りてきた「存在」があった。地球の人々は、「空からの存在」の到来に驚いた。神話と伝説だけでなく、聖書でさえも、これら原初期の「天空人」が、地球人に組織的農業を可能にした贈り物「種子」を携えてやって来たことを記している。彼等「天空人」が建設した神殿には、儀式用途にして狭すぎる部屋と間仕切りが沢山あった。こうした初期の神殿には、数多くの仕切りで隔てられた部屋と供物を置く聖壇所があり、神殿建築の目的が種子を保存貯蔵し、管理することであったことが窺える。
原住の人々は「天空人」からテレパシーで指導を受けていた。シリアのダマスカスから数マイル離れたエブラの地点は、「天空人」が初期の渡来目的地とした場所の一つであった。そこで地球の人々は天空人の神殿建設を熱心に観察し、学習した。「天空人」からの贈り物の中でも最も注目すべきなのは、トウモロコシの種である。それ以前の地球の土地には存在していなかったものである。この事実に、野生の穀物が人間の農産用に改良されたという事実を併せ、宗教的な偏見を取り払って伝説を検討するならば、穀物をきれいに整列させて育てる組織的畑作農業は神々からのプレゼントであったことが論理的に証明できそうである。

イエスは「種子の生涯」

トウモロコシの起源に関する優美な伝説はメキシコのマヤにある。「トウモロコシとマヤの関係は今日の名称に残っている。植物のトウモロコシの名前と、マヤの名前は同義語である。トウモロコシの学名は、『ジー・メイズ』で、これは『マヤの穀物』という意味である。世界の大半の地域で、トウモロコシは『メイズ』と呼ばれているが、これまた完全にマヤのことを意味している」。トウモロコシの贈り物の威力は、マヤの子孫であるグアテマラの人々に民族の記憶として残っている。収穫の最中に、たまたま一人の女が一つの穀粒を地面に落とした。彼女はすくに穀粒を拾い、親指と人差し指に挟んで穀粒を捧げ持った。そして種子の超自然的な起源に思いを寄せる。これが現在では「祈り」と言われている姿である。「彼女にとって、そしてマヤの人々にとって、トウモロコシの粒は魂を持つものであり、畏敬すべきものであった」
現代の多くの宗教諸派においてもなお、種子の起源の神秘は潜在意識に深い影響を及ぼし続けている。キリスト教のイエスの人物像そのものに、「種子の生涯」が比喩として込められていることが手に取るように分かるであろう。種子とそっくりに、イエスの物語は神秘的な起源をもって始まる。イエスは集団の中で生活し、(果実=聖なる教えを)生み出す。十字架にはりつけとなり、地下に埋葬され、死から再び生へとよみがえる。神秘的な起源を持つ種子は、収穫されるために生きる。そして種まきに備えて神殿の地下室に貯蔵され、再び復活して生きる。擬人化によって明快に表現されたような種子の蘇生の捉え方は、まさに人類の神話の起源とともに始まっているようである。初期のエジプト神話においては、シリウス星の儀式は、キリストの物語極めて相似した、生命に対する不可思議な力に語りかけている。

ナイルの氾濫と「種まき」、シリウス星の「宇宙カレンダー」

シリウス星の「宇宙カレンダー」は、農作物の管理に必要不可欠な季節を予測するのに重要な意味をもっていた。世界画一の年月日を示した現在のカレンダー(太陽暦)とは異なり、シリウス星の神のエジプトにおいては、時の尺度としては、農業の「季節」が最も重要であった。エジプトの新年は7月19日の日の出の時刻にシリウスが観測される時に始まる。この日付けはナイル川が農業地帯への氾濫に向け水位を上げ始めたことを人々に知らせた。この洪水は安定した農業のために不可欠な再生であると考えられていた。エジプト人は、年や月で時間を把握するのではなく、ナイル川の氾濫期によってどのように地上が生まれ変わったかを問題にした。11月にナイル川の氾濫が引くまで種まきを始めなかった。1月6日の祝典が、最初の小麦の収穫を告げた。この奇跡の再生の日付けは、キリスト教政教では依然としてキリストの誕生日と認識されている。この1月の発芽から3カ月ほど後の収穫が、聖書の神話では過ぎ越しの祝祭と北米のイースター(復活祭)の種まき祭りとして割り当てられた祝祭である。
エジプト人は、氾濫後に順番に行う2回の種まきで年を数えた。もし豊作であれば、エジプトは古代世界の穀倉地帯となって貢献した。古代の人々の種子に対する思う入れは、全て実用的な目的であるが、神殿の儀式の原動力であったと同時に、エジプト社会の商売の経済的基盤であった。生命維持の食料を供給するだけでなく、穀物は交換手段であった。農作物の種子は、社会のマネーであった。人々の事業の対価は、穀物で支払われた。

米軍イラク占領は、貴重な「種子の歴史」の抹殺

畑作農業の最古の形跡は約8千年前のイラク(シュメール)に残っている。この初期の農作物の種子に関する慣習は、イラクのアブグレイブの種子の貯蔵所において長年、不朽の状態で維持されていた。後に、この貯蔵所は拷問施設にされてしまった。ブッシュ米軍がやって来て悪名高い場所に変えたのである。米国の占領政府が何よりも最初に行ったことは、何千年もの歴史ある自然の種子選別と貯蔵を法律違反にすることだった。それ以降イラクの農業で使用される種子は、全て米国の企業が供給する遺伝子操作された種子となった。本来の種子の伝統が失われのは時間の問題だ。進歩したマインド・コントロール技術に支えられた米国の軍事力は、イラクから発祥した種子の歴史を抹殺することによって、意図的に世界の食糧供給をコントロールしようとしていると考えると、狂気じみたものがある。
トウモロコシには種子の地球起源の痕跡がないのにもかかわらず、ダーウィン的進化をしたという非科学的な「神話」は永遠に持続することになる。野生の種子から意図的に作物用の種子を作る初期の改良の形跡も失われるだろう。野生の穀物と、「天空人」がもたらした作物用の穀物が根本的に違うのは、茎と皮である。野生の穀物の実がなる穂は、風で折れる程度に脆い茎に支えられていなければならない。皮は「風による収穫」の時から地面で発芽する時までの期間は腐らない程度に頑丈であればよい。野生の穀物はこのように誰の手も借りず自然の中で生き残り、実を結ぶことが出来るようになっている。農作物用の穀物は、野生の穀物に備わっているこの2つの特徴と、ちょうど正反対の性質を持たされている。
農業者は、風にも折れず、収穫作業中にも折れないような強い茎を好む。第2に、皮は収穫する時に容易なものでなければならない。自然界の野生の穀物とは違って、農業者は収穫と同時に種をまく必要に迫られてはいない。トウモロコシは典型的な栽培穀物である。穀粒は穂にしっかりと付いているが、皮は簡単に剥ぎ取られる。放置されたトウモロコシ畑は荒地になる運命である。誰も穀粒をとるものがいなければ、穂に付いたまま立ち腐るだけで終わってしまうからである。野生のトウモロコシは存在しない!マヤと同じく、アメリカ・インディアンは、トウモロコシは「天空人」からの贈り物であると考えている。やって来た神々は、小麦や米を農業生産する方法を教えたが、トウモロコシはそれ自体が神々からの贈り物だった。

マネーの魔力を隠すため、アブラハムは「種子」と比喩

宇宙的な偶然であったのか、神の意志に基づく計画であったのか、いずれにしても、「天空人」は、贈り物の種子をもたらすタイミングを、地軸が安定した位置にあった時の地球周期に合わせたようである。地球の磁極は6千年の時間をかけて長距離移動した後、3万年間の安定期に入っている形跡がある。この地軸移動中の、季節が予測困難な時期に、畑作農業に依存することは非常に危険なことであったろう。ソロモン時代の前の、この地域の神殿は、2つの祭壇を供えていたことは注目に値する。一つの祭壇は種子に捧げられた。もう一つの祭壇は、崇敬の祭壇と呼ばれていた。崇拝の祭壇を担当する聖職者は、寝ずの番をして星を観測し、地球の運行がきちんと維持されているか、季節が規則的かどうかを報告したのであろう。種子の祭壇を担当する聖職者は、種子を守るために必要な規則と命令を維持していたに違いない。2つの祭壇を一つにまとめてしまったのは、「天空人」の時代と彼等の贈り物に対する崇敬の念が断絶したこと、そして、モロクのマネーの時代が始まったことを示している。
種子が取引交換手段であったこの時代では、現在利子と呼ばれているものについて明確な観念が存在していなかったようである。間違って「利子」と呼ばれ徴収されていた数量の種子は、実際は、植付けのために引き渡された種子の数量に対する神殿の取り分であった。神殿が想定していた報酬(戻り分)は、植付けに供された種子の種類と数量によって異なっていた。ローンとか借り入れとか利子といった概念は、おそらく当時に辞書になかっただろう。最初の聖書の預言に表現されているように、個人所有という観念は非常に限定されたものだった。「種子は主に栄光である」。アブラハムは、「アブラハム」になる遥か以前から、種子を取引する祭壇をベテルに建築していた。その後、神話の「アブラハム」となり、マネーが種子に代わって交換手段となった後に、アブラハムは、マネーの力を隠すためにマネーを表す比喩として種子を使用した。種子(マネー)の力をもってすれば、敵の城門(市場)を奪うことが可能であろう。出エジプト記32章13節に、種子(つまりマネー)の力は、「天の星の数のごとく」何倍にも増え続け、大地を獲得することが出来る、とある。
収穫の時に、次の季節の貯蔵用に神殿に返納すべき種子の数量は、農作物の種類と地域によって異なっていた。ハムラビ法典によれば、返納すべき数量は、元の数量のおよそ11%から13%増しだったようである。支払の遅延に対しては過料が課せられた。2カ月経過すると率は18%に引き上げられた。注意すべきことだが、農作物の収穫量は、通常の種子の産出量の半分程度しかないことがある。ある種子は自然に任せておけば30倍になるが、他の種子は10倍だけしか増えないかもしれない。その結果、10倍に増える種子を100個植えたなら、理論的には1千個の種子が産出されるはずであるが、実際には500個の種子しか得られないこともある。農民が自分自身の生計のために取る数量は、神殿がどのような計算をするかにかかっていた。たとえば、神殿が、100個の種子を供給したと想定する。これに20%の増分を付け、収穫の祭に120個を神殿に返納するという条件が付いている。この場合、農民に残るのは理論的に得られる1000個の内、380個ほどである。
現代の金融業の専門知識に基づけば、神殿が要求する割合は、全体の理論的農作物収穫量に適用されることになるだろう。これによって、神殿への返納の総量は、種子120個から200個に変わる。500個の収穫に対する20%は100個であり、80個分増えるからである。農民の取り分は300個に減ることになるだろう。この新しい計算によって、神殿はシーズンごとに資本を倍増することになる。種子のインプット量ではなく、理論的農産物のアウトプット量を根拠とする計算によって、神殿の資本が社会全体の富を上回るに数シーズンしかかからないだろう。このような類の変化は、古代の粘土板に高利貸しと記された計算によって過剰な利益を得ようとする人間の性癖に対する神の警戒心を引き起こしたに違いない。

十進法算術パワーで「人類の主人」モロクも「バベルの塔」

収益計算の方式変更は、偶然によるマネーの発見に加え、10進記数法の発見と相俟ってさらにパワフルなものになっていった。10進法で計算されたマネー算術おパワーは、究極の高利貸しの道具となり、モロク神の経済霊が人類の主人となることを許した。経済霊への信仰のパワーはあまりに強力であり、人々は、マネーの収入は、自然とは全く関係なく、10進数の計算だけによって得られると思っているほどである。おそらく地球上の全ての数字で、利子収入は、元本額に利率を乗じ、地球時間で計測される期間を掛けたもので得られること(I=P×R×T)を教えているはずである。
この公式は、「72の法則」と呼ばれる法則で単純化されることが多い。貸し手が元本を2倍にするために必要な期間は、数字の72を利率で割ることで得られる。利子は利子そのものに対しても支払われるという複利の発想が当然とされており、これが経済霊とモロク神に究極のパワーを与えている。
「高利貸しの神秘」によって債務者が理不尽に押し付けられた重荷を考えれば、高利貸しのパワーは失敗されやすい(すべき)ものである。それは自然の摂理に反するものゆえ、それほど驚くべきではないだろう。大洪水後の原初の時代より、世界の制覇を目指した経済霊の努力は幸いにして実を結んでいない。その最たる伝説がバベルの都市の大きな塔の比喩である。 地球の支配者を目指した最初の無駄な努力として、バベルの都市にいた大商人とモロク神、経済霊は、天まで届く塔を建設しようと懸命になった。神は立腹して介入した。その結果、建設は中断し、人々のコミュニケーションは支離滅裂な言語に隔てれらることになった。バベルの物語の類型学(喩え話)は、大商人に仕え、モロク神と経済霊を崇拝することがもたらす悲惨な末路を伝えている。