現代スサノウの言霊 

言霊と古事記

 古事記が、特にその神代の巻が、言霊の原理の手引書であるといったらどなたも驚かれることでしょう。  現にいまの歴史学者の中には「奈良時代に到って日本の中央集権化に成功したその時の権力者が、その統治に権威あらしめる目的ででっち上げたのが古事記、日本書紀である」として両書は架空の創作書と称える人が多いようです。そしてその主張の根拠の第一が古事記の神代の巻です。古事記をただ漫然と歴史書として読む人にとってはそのように思うことも無理からぬことでありましょう。しかしそれは全くの見当違いなのです。
 古事記と日本書紀の神代の巻きは、言霊原理の隠没した時代の末に、再び日本人が潜在意識の底からその原理を甦らすために用意された神話の形をとった言霊の教科書なのです。
 古事記神代の巻の最初に登場する神名天之御中主神より建速須佐男命までちょうど百個の神名が挙げられています。古事記は神話の形をとって書かれた人間精神の根本構造を明示し呪示した言霊原理の指導書なのです。百神のうち前半の五十神は五十音言霊をそれぞれ示し、後半の五十神はその五十音言霊をどのように操作したら人間行動の理想の規範ができるかを説いています。簡単に説明してみましょう。
 「天地の初発の時、高天の原に成りませる神の名は、天の御中主の神、次の高御産巣日の神、次に神産巣日の神、この三柱の神は、みな独神に成りまして、身を隠したまひき」
以上は神代の巻の冒頭の文です。天地の初発の時などと言われると誰でもこの宇宙の始まった天文学的、地球物理学的な始まりのことと想像するでしょう。しかしここでは違います。古事記神代巻はすべて人間精神の内面について語っているのであって、客観的なそれの話ではありません。すなわちこの本の始めの頃お話しましたように、内に省みた広大な精神的宇宙から初めて人間意識が目覚めて、現象以前の先天的機構を経過して眼に見える現象が現れる細部の精神的消息を解説しているのです。天地の初発の時は常に〝いま・ここ〟に人間の意識が何もないところからふと生まれてくるその「初発の時」のことです。その何もない澄んだ宇宙が高天の原です。
 前に「言霊とは」の章で人間の意識が眠りから目覚めていく順序に従って言霊の発現を説明しました。実はその記述の順序は古事記に現われ出て来る神々の名が示す言霊の順序に従ったのです。天御中主の神言霊ウ、高御産巣日神言霊ア、神産巣日神言霊ワまではすでに説明しました。神名は次の宇摩志阿斯訶備比古遅の神言霊ヲ、天の常立の神言霊オ、国の常立の神言霊エ、豊雲野の神言霊ヱ・・・と続いています。そして天御中主神より建速須佐の男命までちょうど百の神名が出てくることとなります。それぞれの神名がどうしてそれに相当する言霊と結びつくのかの説明はあまりに煩雑になりますので後の機会に譲ることにしまして今は言霊五十音とそれを呪示する古事記の神名をそれぞれ列記しておくことに留めます。
 以上の五十神に続く五十神の神名は、先にお話しましたごとく前出の五十音言霊をいかように運用操作したら人間の理想的行為の規範を実現し得るかの操作法であります。また伊耶那美神の後に十数個の島の名が出てきますが、これは言霊のそれぞれが、またその操作法が、精神宇宙のどの位置にあり、どのような意義を持っているかの呪示であります。
 「成りませる神の名は天の御中主の神」。成りませるとは生まれてくることであり同時に“鳴りませる”として言葉として現われてくることでもあります。生まれてくることとそれが名を持つこととは不可分の人間文明創造の根元です。言と霊と同一であること、すなわち言霊です。何もない宇宙に初めてボャーと生まれる根源の意識、それは「我在り」の起源となる意識です。○の図中の真ん中の一点です。宇宙は広いものです。だから、その中の一点といえばどこをとっても中心です。漫然としながらもこの中心に在りとする意識の始まりーこの存在を天の御中主の神という神の名前で呪示したわけです。そしてその存在は言霊ウです。
 「次の高御産巣日神、次に神産巣日神…」とは全純粋主観である言霊アと全純粋客観である言霊ワです。○である言霊ウから主観・客観が別れたことを示します。「独り神に成りまして身を隠したまいき」。ウ・ア・ワと呼ばれる世界は、示された時、他の何ものにもよることなくそれ自体独立した一つの宇宙でありますので、それを〝独り神〟というのです。またそれぞれの実在は決して現象とはならず、先天の宇宙でありますゆえに〝身を隠したまいき〟と申します。
このようにして次々に宇宙が剖判して生まれてくる神々すなわち意識のそれぞれの根源要素に五十音を当てはめてゆき、母音・半母音・父韻・親音・子音と言霊ンを確認しました。全部で五十音です。
 高御産巣日と神産巣日とは高御産巣日の方の頭にタの一字がある以外は同一です。タとは田んぼのことで、人は田を耕して米をつくります。精神的には言葉の田である五十音言霊図を耕して、結合した物事の名前を作っていくことすなわち文明創造の主体行動を意味します。アである吾の側に創造主体があり、ワである汝の側はあくまで主体の呼びかけに応えるだけて受身の立場です。ですからタカミムスビに対してタがないカミムスビなのです。
 三十一文字の和歌の道のことを、昔、言の葉の誠の道、または敷島の道と申しました。敷島とはもと五十城島と書きました。五十音が住む城の意味で、少なくとも古今集までの時代には、言霊の原理は伝統として世に知られており、和歌の道とは情感を三十一文字に表現しながら、同時に言霊の原理をその中に織り込むことによって実際に言霊を体得する修行の方法の一つであったのです。
 奈良時代にはまだ社会的に完全には埋もれてはいなかった言霊五十音の意義を後世に残そうとして制定された書が古事記です。言霊の一つひとつの生命全体に占める位置・意味・機能等々を、後世、それを指月の指として自己の内面を顧慮するならば、明らかに言霊五十音に到達できるように、その時代、人口に膾炙されていた神名、人名を抜き出して神話の形で構成して書き残したのが古事記神代の巻なのです。
 言霊ウの意味を把握した時、古事記の天の御中主の神という神名はその実態を何とよく示していることかと驚かされます。古事記を書いた太安萬侶という人は確かに言霊の原理を知っていたのだなあとつくづく思われるのです。その他、時がくれば言霊の音の一つひとつが明らかに解けるように、古事記の神名と言霊とを照合し易いように、和歌の道の奥義書となるものが皇室の中に秘蔵されたのです。その場所を賢所と申します。文字通り世界中で最も賢い所であったわけです。
 昭和二十年の第二次世界大戦の敗戦まで、日本天皇の皇統の証明物として三種の神器が尊ばれていました。八咫の鏡・八尺の勾珠・草薙の剣です。この三種の神器を持っている人が正統の天皇であるということで、ある時代にはこの神器の帰属をめぐって戦いがありました。またその神器の真偽の論争が起こったこともありました。けれども言霊の原理の立場から考えますと、三種の神器についての争いなどまことに笑止のことに思われます。なぜなら神器とは物質的器物です。器物とは精神的原理の表徴物に他なりません。大昔には哲学的概念の言葉がありませんでしたので精神的なものは器物で表徴しました。鏡とは言霊エを主眼とした理想的精神構造の図すなわち先に述べた天津太祝詞音図のことです。この音図に照らし合わせれば、すべての人間行為の善悪・可否は正確に判断されます。
 勾珠とは言霊五十音をひとつ一つ粘土板に書いて焼いた の形を連ねたネックレスのこと。この五十の要素以外に精神宇宙には何もないことを示しています。剣とは縦に空間をアイウエオの五次元に、横に時間カサタナハマヤラと八つの展相に断ち切って判断する精神判断力のことに他なりません。縦に五つの次元を切ると、この人はどの次元にたって行動を起こしているかが判ります。五つに〝分ける〟から〝分かる〟のです。横に八父韻の相を判別すると、その人は目的に向かって正しい手順を踏んで物事を進めているかどうかが明瞭に分かります。この精神的審判の理想構造と、それを構成している五十音の要素の認識と、それによる精神の明確な判断力を持っていることが為政者の、大昔にあっては天皇としての、資格であったわけです。日本書紀に「是の時に天照大神手に宝鏡を持ちたまひて、…『吾が児、此宝鏡を視まさむこと、当に吾を見るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡とすべし』とのたまふ」とあります。
このことから推察して日本の大昔に言霊の原理に則り政治が行われ平和な精神文化の花が咲いていた時代があったことが推察されます。
 「床を同くし殿を共にして斎鏡とする」ことを鏡と天皇との同床共殿の政治といって、言霊原理が実際に政治に生きていたことを物語っています。
 現代人の大きな迷信の一つをご存じでしょうか。それは現在の物質文明の繁栄に酔うのあまり、その物質文明の未発達であった大昔が野蛮時代であったと思い込んでいることです。確かに数千年以前には今のごとき物質機械文明は存在しなかったでありましょう。けれども精神の分野においては、現代人が夢にも見ることができぬほどに立派な文化の華が咲いていたことは確かであったようです。その何よりの証拠は大和言葉の存在と、その言葉を創造する根本原理である言霊の原理の存在がここに明らかにされたことであります。日本における古事記・日本書紀の神話ばかりでなく、世界の神話すなわちギリシャ・エジプト・北欧等々の神話はすべて過去に真善美の精神文明の華咲いた時代があったことを明記しています。これらは決しておとぎ話ではなく実話であることを、この書を手にした読者ご自身が言霊の原理に深く踏み入って大和言葉の内容を明らかにされるなら、さもありなんとうなずかれることでしょう。と同時にこれらの神話はすべて隆盛を極めた精神文明が、ある時代を画して隠没し姿を消してしまったことをも記しています。日本においても日本書紀に神倭朝十代崇神天皇の時代の次のごとき事件について報じた一文が載っています。「是より先に、天照大神、倭大国魂二の神を、天皇の大殿の内に並祀る。然して其の神の勢を畏りて、共に住みたまふに安からず。故、天照大神を以ては、豊鍬入姫命に託けまつりて、倭の笠縫邑に祀る…」
 右の事件は神倭朝の同床共殿の制度の廃止という、それまで天皇が言霊の表徴である三種の神器と共に居り、その原理に則って政治を行っていた事を廃止して、この人間の究極原理を人間が拝む対象としての神と祀ってしまったことを意味します。すなわち人間最高の精神文明の隠没となるわけです。
 ちなみに言霊の原理からみて人間が神に対する態度も二種類あることを説明しておきましょう。第一は神を斎く立場であり、第二は神を拝む態度です。
 斎くとは五作を意味し、神である宇宙の五つの次元アイウエオの順を心に確認し、神と一体となることであり、拝むとは神である次元宇宙の内容を自覚せず自ら傀儡に成り下がり、ひたすら神を畏怖する態度であります。拝むと愚かとは同じ語源より発します。

 以上のようにその昔、日本の天皇として政治の任にある人が必ず体得しそれによって政治を運営するべき言霊の原理が、人間の自覚から離れ、伊勢神宮の内宮に天照大御神として祭祀され、原理そのものは日本人の意識から隠没したのですが、数千年の後、言霊の原理が再び日本人の脳裏に甦る時に備えて巧妙な仕掛けが行われたのでした。それは言霊の理想構造図すなわち天照大御神を祀る伊勢神宮の内宮の本殿を、一度言霊という意識の下に見るならば、まさに一見してその言霊構造が明らかになるような構造に建造したことです。その作り方を今に〝唯一神明造り〟と伝えています。唯一つの神が明らかになる造りということです。
 伊勢神宮本殿の構造と言霊図とのみごとな照合のことについては後に譲ることにしまして、ここではただひとつ構造上最も重要なことをお話するに留めます。それは伊勢神宮におきまして、〝秘中の秘〟といわれます本殿中央の床下に祀られる忌柱または真柱のことであります。それは大きさ縦横約五寸の白木の柱で、下二尺は地表より下に埋められた形で建てられています。これは何を意味しているのでしょうか。言霊を知り、この変遷の意味を了解するならば一見して天照大御神という神の言霊の意味が明らかにされます。真柱の五尺の長さは明らかに神道で天之御柱と称える言霊アオウエイ五母音を表徴します。この五母音の重畳こそ神の本体です。しかも下二尺が地表下にあるということは、言霊原理が隠没し神と祀られている期間は、社会にアオウである宗教・芸術・学問・産業は栄えても、下二段のエイすなわち言霊原理イとその原理に則る道徳・政治エはこの世に実際に行われることはない、という呪示であります。
 隠された言霊の原理を他の建造物や宮中での諸々の儀式の形式(例えば立太子の時の壺切の儀)等で呪示したものは多数存在しますが、その説明は他の機会に譲ることといたします。
 以上言霊原理の隠没の時の状況についてお話しました。そこでついでに二千年間完全に埋没していたその原理がどのようにしてこの社会に再び甦ってきたかを付け加えておきましょう。宮中において三種の神器の同床共殿の制度の廃止以来、日本の国家は言霊エではなく言霊ウの権力による支配の下で、決して平和至福の社会とは言えない状態が続いたのでした。それはまた全世界についても同じことが言えるでしょう。けれども三千年以前に決定された方策のことく近代になって隠没していた言霊五十音の原理がようやく社会の表面意識の上に甦ることとなります。その隠没の二千年の間にも言霊の原理の存在に気付いた日本人はいました。平安時代以降では菅原道真・最澄・空海・日蓮等々の人々がそれです。遺されたそれらの人々の著書を言霊の立場から読めば一目瞭然です。しかしこれらの人々はその存在に気付いても決して明らさまに言霊を説いてはいません。存在を呪示しただけでした。その時代々々が言霊を世に出す時ではないことを察知していたからでありましょう。そして言霊研究の先鞭をつけられたのは明治天皇でありました。天皇に一条家より輿入れされた皇后のお道具の中に、三十一文字の敷島の道・言の葉の誠の道である和歌の道の奥義書として言霊の手引書があったと聞いています。天皇は皇后と共に言霊原理研究の手探りを始められたのです。そしてその勉強のお相手をしたのが天皇の書道の先生であった山腰家当主であり、その子の山腰明将氏は著書の言霊の師である小笠原孝次氏の先生でありました。
明治天皇のお詠みになった言霊・言の葉の誠の道すなわち五十城島(敷島)の道の関する御製が多数ありますが、ここにそのうちの二、三首を挙げます。この御製によっても、天皇が、日本が日本であることの真実の道である和歌の奥義をどれほど熱望されたか、よく推察されます。

聞き知るはいつの世ならむ敷島の大和言葉の高き調べを
しるべする人をうれしく見出てけり我が言の葉の道の行手に
天地を動かすはかり言の葉の誠の道をきはめてしかな

こうして言霊の研究は次第に進み、著書の師であった小笠原孝次氏の時になって、それまでは抽象的概念の研究のみに終始していた研究から抜け出し、実際にこの世の中に呼吸している生きた人間の精神の究極構造を示す原理として言霊の学問体系を確立したのです。昔の神話が現実の歴史創造の原理として徐々に甦り始めたのです。
 言霊の研究が二千年の闇を破って始められた明治時代は、ちょうど物質科学において人類が初めて物質の先験構造である原子核内へ一歩研究を踏み込んだ時でもあるということは、私達にとって一つの重大な歴史的示唆を与えるではありませんか。
 この著に接して言霊の意義に感銘を受けられた方は、もし手に入れられるならば私の言霊の師である故小笠原孝次氏の数種の言霊に関する書物をお読み頂き、言霊の理解をさらに深められることをお奨めします。