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日本の歴史(一)

 所謂天孫降臨はやく八千年以前の出来事と推定される。この時より世界の政治文化の歴史は日本を中心に展開されることとなる。政治という言葉を使うと現代人は直ちに現代の如き武力・経済力をバックとした権力の政治のみを想起されるであろう。然し天孫降臨後のそれは全く様相を異にしたものであった。言葉の原理による道理と人類愛、言換えれば英智と愛による道徳の政治の時代であった。神聖にして真実なる宗教的道義の政治とでも言ったら理解し易いかも知れない。かくて言霊の原理の体得者である霊知りの集団の日本への降臨以来神倭朝一代神武天皇に到る五千年と推定される期間大道の政治が続くこととなる。この間古文献には邇々芸王朝」・彦火火出見王朝・鵜草葺不合王朝等の経綸が入れ替わり続いた事が記されている。それぞれの王朝は十数代或いは数十代の天皇が皇位に即いた。(それら王朝の代々の天皇名とそれぞれの統治の記録については竹内文献その他の古文書に詳しく記されている。そのうち竹内文献の紹介書である昭和三十九年出版の山根キク著「世界の歴史」を参照されたい)各王朝の責任者を天津日嗣天皇と言う。天津日嗣とは人間が人間であるべき究極の真理である言霊の原理の自覚を受け継いでいるという意味である。天皇とはこの真理を保持して世界中の人々の言葉を統一する人の意味である。それぞれに霊知りであった。ここ三千年程に於ける権力政治の渦中にあったり、統合の象徴といった飾りものの天皇のことではなかった。古代の歴史書として竹内古文書の他の大伴・物部等の古文書、その他富士宮下古文書・大友の上記・安部古文献等がある。
 天皇の仕事の第一はあらゆる事態に処して言霊の原理に則って事物に名をつけることである。又その名の示す事物の内容と対処の方法(それらを文化という)を広く世界に拡めることであった。伝達の速度は現代より遅いかも知れぬ。しかし着実にその文化は世界に広められた。正に「世界は一つの言なりき」の時代である。古文献によれば各王朝の天皇は即位後長い年月をかけて世界各地を巡幸されている。又逆に世界の各地から霊の本の真理の徳と文化を求めて人々が日本に来朝した事である。代々の天皇の即位式には世界中の王達が参列した。歴代天皇の御霊を祭った廟を皇祖皇太神宮と呼んだ。外国の王が死ぬとその亡骸は霊の本に運ばれて葬られた。その廟を別祖太神宮と言う。現今の伊勢神宮の内・外宮の古代に於ける形式である。
 邇邇芸王朝とは先に示した如く第一義である言霊から数えて第三次的な人類の社会文明創造の政治を布いた初めての王朝であり、第二番目の彦火火出美王朝とは彦即ち霊子である言霊の原理に則ってその成果(火即ち穂)が華やかに咲き揃った(出美)王朝の意である。この時代に於いて大道の道徳政治は隆盛の時代を迎えたことが分る。かくて天孫降臨以来世界には長い間精神文明の花が咲いていた時代が続いていたのである。この初めの人類の精神文明の期間を第一文明という。
次に興った鵜草葺不合王朝も引き続き精神文明が全世界に行き渡った時代であった。中国に於いて神話化される三皇・五帝もこの時代の人々である。(三皇・五帝とは、中国の夏時代よりも古い伝説的な聖人たちのこと。三皇とは燧人氏、伏羲氏、神農氏の三聖人をさす、また五帝とは黄帝・帝顓頊・帝嚳・尭・舜のこと)これらの人物が単に伝説的のみでなく明らかな実在者であった事の証拠を示す為に次の文を引用しよう。
 周易繫辞上傳に「是の故に天神物を生じて、聖人之に則り、天地変化して、聖人之に效ひ、天象を垂れ吉凶を見して、聖人之に象り、河・図を出し、洛・図を出して、聖人之に則る。」とある。又その註に「河は黄河、洛は洛水。古昔伏羲は黄河より出でたる神馬の文に則り八卦を画し、禹は洛水を治め神亀を獲、その背文に因りて洪範を作れりとの伝説あるを謂ふ。然れども此の真否は今之を詳にする能はず」とある。しかるに上述の河図・洛書と謂はれる易の洪範が単なる神馬の文とか亀の背文の如き呪物ではなく、日本語の語源原理である言霊布斗麻邇の原理によってその実体が明示された今日に於いては、河図・洛書に則って政治を制いたと言われる伏羲・禹の如き人物も実在し、それらの結縄の政の時代も実在したことが肯ける事であろう。然らば古昔実在したものが何故後代神話化と同時に架空のものとなってしまうのか、その間の事情については後段詳しく触れることとなろう。日本・中国ばかりでなく印度・ギリシャ・北欧等の神話の中の太古の理想世界の記述は右と同様現に存在した事実なのであって、決して架空の理想像的なものでない事は、一度言霊原理の内容に踏み入った人々には成程と肯首される所のものなのである。
 鵜草葺不合王朝の時代は右の如く人類の第一文明である精神文明の華咲く時代であったが、同時にその王朝の名が示す如く人類の第二の文明というべき物質文化の芽が出て来る萌しの時代でもあった。鵜草とは人間の現識・欲望である言霊ウの神屋即ち所謂科学の構造・内容が未だ完成されていない(葺不合)時代という意味である。この時代三権分立に於ける天照大神の精神原理による第一文明の完成時代であると同時に、やがて到来するであろう人類の第二文明であり、三権分立における月読命・建速須佐男命の系統の文化の萌の見えた時代でもあった。次の章に於てこれらの文化発生について外国(日本以外の国)の状況並びに日本と外国との交渉の経緯について説明しよう。鵜草葺不合王朝の終りは今より役三千年以前のことである。