現代スサノウの言霊 

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外国の歴史(一)

 伊耶那岐大神の三権分立の宣言によって天照大御神は高天原を治めることになった。その精神分野は現象を見る主体側の精神の究極構造である五十音言霊の世界であり、その実際の地は言霊の幸倍う国日本であり、この原理に則る道徳・政治の実行は邇々芸・彦火火出見・鵜草葺不合の三王朝の期間に充分に完成された。三権のうちの残りの月読命・建速須佐男命の活躍は如何になったであろうか。須佐男命は海原を治めることである。人間の現識に則る世界・分野である。この仕事は現識である言霊ウに則って事物を破壊・分析することから始める。それ故に精神文明の完成された高天原日本で行うわけには行かず、古事記に於ける天照大御神と須佐男命の確執の経緯に如く速須佐男命は高天原からの「神遂ひ」の形式で母神伊耶那美神がいます四方津国へ出掛けて行った。須佐男命とは謂わば科学者の集団といえる。この集団が成功し目的を達する為にはこれより現代まで永い数千年の年月を要するのであり、その長年月の活動が人類の歴史に複雑な様相を呈せしめることとなる。次に三権の残りの一つが月読命が知らす夜の食国の分野である。畫の光である天照大御神の言霊の自覚がなく、それ故夜のうすぼんやりとした呪示表徴を事とする概念理論の分野の仕事である。哲学・宗教・芸術の世界である。故にこの仕事の推進を基として外国の歴史を見ることにしよう。
 日本を出発した須佐男命の集団は朝鮮半島に渡り、建国した。檀君国と呼ばれる。次いで中国東北部・北部に進み、続いて印度まで達した。中国東北部に建てた国は商又は殷と称せられる。(契丹古伝)
 中国の古代科学である錬丹還金術や本草学・漢方医学等は須佐男命集団又はその後裔が興したものであり、言霊布斗麻邇の原理を客観世界の研究(科学)に応用しようと試みた所のものである。時代が下がって周の後に興った秦の始皇帝BC二二一年はこの錬丹還金術を奨励し、その研究者である方士を重用したと伝えられる。始皇帝が〝不老長寿の薬〟を求めんと臣の除福を日本に派遣したことは有名な伝説である。〝不老長寿の薬〟とは精神的な宝である言霊布斗麻邇の原理を指すことはいうまでもない。言霊原理こそ人類の種が存する限り永劫に保持される人間精神の構造そのものであるからである。現在除福の墓は和歌山県新宮市にある。
 月読命集団の仕事は精神的探究の中からその中枢である言霊の原理だけを除いた他一切の研究である。言霊の代りに概念・数・象形文字・呪文等を用いた研究である。月読命集団は中国の易の基本である河図・洛書を伝え、印度に於ける古代宗教の基礎を築いた。更に広く世界に展開してギリシャ・北欧等の神話を編んだのもこの集団の仕事である。これらの仕事は古代天皇の世界巡幸に附き従ったり、又使命を帯びて日本を出発して行った人々の事蹟であった。
 更に鵜草葺不合王朝の中期を過ぎると高天原日本の伝統の真理を求めて世界各地から日本の皇室目指して賢人・学者が所謂留学生として来朝するようになった。その留学生の中に伏羲・神農・モーゼ・老子・釈迦更に続いてイエスキリスト・マホメット等の名が竹内文献には記されている。古代の日本の皇室はそれらの留学生に言霊布斗麻邇の原理を伝授し、同時に将来の人類文明創造の経綸におけるそれぞれの使命・役割を定め担当させたのであった。