現代スサノウの言霊 

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新世紀の夜明け

 日の出が近づく程夜は暗いという。心理学的に言えば人間の表面意識が破綻しようとする時、その意識の奥に於ける全人格統一の力は最も強く働くという。心理学は更に言う。この時意識の底に働く統一の力の趨勢や内容を汲取り表面意識に取り入れようとする努力を人間が怠るならば、終にその人間の全人格の破壊が起ると。  約三千年以前葺不合王朝六十九代神足別豊鋤天皇がモーゼに下した命令…人類の第二の文明である物質科学の確立とそれによる世界の権力統一の事業は完成目睫の間に迫った。と同時にこの三千年の間の精神基調であった生存競争・権謀術数の考え方だけでは人類全体の生命存続を必ずしも確保し得ない事態をも招来した。心理学的に見ても今や人類精神転換の時である。人類の生命が危険に晒された現在、その魂の底から生き続けようと奔出するエネルギーの正体をつきとめ、表面意識の中に組入れることが生きるたまの必須の条件である。魂の底から湧き上って来るものとは何か。勿論それは人類の第二文明創造の地盤となる弱肉強食の生存競争社会を醸成するために故意に隠没された人類の第一精神文明の原理言霊布斗麻邇である。三千年間人類の潜在意識の底深く眠っていた人間精神の究極原理を呼び醒まし、自覚し、それと今や完成に近づきつつある第二の物質文明との車の両輪とすることによって第一と第二の文明の総合である第三文明の建設を目指して出発すべき時が来たことである。
 幾度も述べる如く戦争とは人類の第二物質文明創造促進のための方便として惹起されたものである。人類の文明の流れは武装強化論とか反戦和平論とかの対立を遥かに超越したもっと大きな問題である。戦争は計画された人類社会の宿業であるから、その宿業のよって来たる根源を明らかにし、戦争の意義を全面的に肯定し、その上で人類はもはや方便としての戦争を必要としない時期に来ていることを確認するならば、戦争は自然に地上からなくなるのである。その意識変革のためには、神足別豊鋤天皇がモーゼに命令した世界史創造の経綸の根本原理である五十音言霊の原理の復活再認識が必須の条件である。天津日嗣天皇の世界文明創造の根本原理がなければ歴史の大きな流れの中に戦争の意義の肯定は出来ず、戦争の肯定なくして戦争の終息はない。
 人類の第一精神文明の復活を霊的に観取して世の先駆となったのは天理・黒住等の教派神道教祖であった。日本の古代に精神文明の華が咲いていた民族の輝かしい時代が実在した事を民衆に教伝した。時代が明治に入りその精神を受け継いだのが大本教であった。先の述べた「梅で開いて松で治める神国の代…」なる出口なおのお筆先の呪文は見事に言霊の原理を表現しているものである。この様な霊的先駆の雰囲気の中で実際に言霊の原理の存在を知り研究に着手した方は明治天皇であった。天皇の御製の中の敷島の道とか言の葉の誠の道という言葉が幾多見られるが、これらの言葉は現在世間で言われる如き唯単なる和歌の道のことではなく、言霊の原理を指したものである。先著「言霊」に詳しく説明した事であるが、古代に於いて三十一文字の和歌の道は叙景叙情的に歌いながらその中に言霊の原理を巧みに折り込むことによって布斗麻邇の修練を積む修業法であったのである。万葉集・古今集までの和歌にはその様な歌が随所に発見されるのである。昭憲皇太后が一条家よりお輿入れの際に、そのお道具の中に言の葉の道に関する奥義書が入っており、天皇は皇后と共に布斗麻邇の存在に気付かれたと伝えられている。その他宮中の賢所に言霊布斗麻邇の原理に関する決定的な呪物があるとも聞いている。お二方の言霊学の勉強のお相手を務めたのが山腰弘道氏なる皇后付の書道家であった。氏の著書の言霊学の師小笠原孝次氏の師であった山腰明将氏の父親である。山腰明将氏の遺稿には古事記神代巻の神名の一つ一つに言霊五十音が夫々結び合わされている。この結びつけは一人二人の研究だけでは到底不可能な言霊原理の真髄であるので、宮中賢所に収められていた奥義書は多分これであろうと推察されるのである。時が下って第二次大戦後著者の師小笠原孝次氏の努力によってそれまでは極めて哲学的・概念的であった言霊学が、今・此処に生きる生の人間の動いている心の学問として、自己を反省して行くならば誰しもその奥義に到達し得る精神の科学の体系にまとめ上げられたのであった。志ある者ならば誰しも古代の日本民族があったその儘の姿で人類の第一文明の中核であった精神原理を自覚することが可能となった。アイウエオ五十音言霊布斗麻邇の原理は不死鳥の如く甦ったのである。
 大本教の富士の仕組・鳴門の仕組という話が伝わっている。天孫降臨の邇々芸尊に御后が二人いた。二人姉妹で姉を石長比売といい、妹を木之花佐久夜比売といった。姉神は石(五十音)の神即ち言霊五十音の神であり、長い間鳴門に隠れて時を待っている。鳴門とは音声が鳴る門のことで人間の口腔を呪示している。妹神は木之花即ち花が咲く如く華やかな神であり、産業経済の花が咲く物質文明を表徴している。ユダヤ民族が物質文明創造の為に世界を放浪しその輝かしい成果を引揚げて「東のしじまなる聖なる山」富士山の麓に神の幕屋を建てんと日本に集まって来る出雲風土記の所謂〝国引き〟の仕事を富士の仕組という。この姉妹二神が各自完全に仕事を遂行してこの日本で再び出会う時がが第一と第二の文明の総合である人類の恒久平和の第三文明時代の始まりを意味している。