現代スサノウの言霊 

濁音と半濁音

 人間の心は全体で言霊五十音であるというと、それでは濁音二十と半濁音五はどう理解すればよいかと質問されることがあります。簡単な説明を追加しておきましょう。
 五十音言霊そのものとその法則のことを神道で布斗麻邇といいます。太占と書くことがあり、占の意味に用いるが、これは真の意を盡していません。言霊の原理が隠没した後、人間社会の運営をどうするかの原理がなくなったため、それを象って呪示の方法で吉凶禍福を占ったのがうらないです。布斗は二十の意味。麻邇は言霊のこと。五十音言霊からそれを代表する言霊を抜き出すと二十となる。カサタハの各行の計二十音がそれです。なぜこの二十音が代表となるのかというと、言霊五十音から純粋主体の五母音と純粋客体の五母音とを除くと四十音となります。この四十音は陽性音・陰性音に分かれます。カサタハの行二十音が陽性音、ナマヤラの行二十音が陰性音です。陽性・陰性はどうして分けられるかは言霊父韻の説明を参照して頂きたい。カサタハ四行二十音が理解できると五十音言霊はすべて自覚できる。そのためこの二十音をもって五十音が代表されるのです。神道では神社参拝の祈り、拍手は二回です。両手十本の指二回、拍手の音形二十。神である二十音言霊を表徴しているのであります。
 この二十音は陽性積極音であって、海の潮でいうと潮が満ちていく音ということができます。古事記では塩盈つ珠と形容しています。その満ちていく動きが完了した姿を表徴して陽性音に濁点が附くのです。それゆえこの二十音だけに濁点が付けられることにもなります。
 では半濁音とは何でしょうか。濁音が陽性の二十清音の表出が完了した時を表わす音であるのに対し、半濁音とは子音である清音が成立する以前の先天におけるキッカケを示すということができます。完了した姿に濁音を付すというならば、半濁音はむしろ反濁音または半清音と呼ぶべきでありましょう。半濁音が付されるのはハ行だけです。ハ行は、それを生む父韻ヒが言葉として表面に完成させる韻でありますから、端的に言えば父韻の働きそのものを表わすので半濁音ということができます。だから電燈をパッと灯るし、ピアノはポンと鳴るのです。鳴る音はハヒフヘホであり、鳴った音はパピプペポであります。