現代スサノウの言霊 

6.黄金のモロク神とミルコム神殿

ソロモン崇敬の「ミルコム神殿」は、中央銀行になりすましている

本当に歴史を作っているものは何か、意見は様々である。学者たちの意見も分かれている。唐突だが、(モロク神の傘下にある)体制権力のインサイダーである秘密諜報員はそんな議論なんかに毛ほどの関心もない。彼等にとって歴史は、彼等自身が作るものである。秘密諜報員が作ったとされる歴史を真実だとすれば、表向きの公認の歴史など何一つ信じられなくなる。
持って回った言い方だが、彼等はこんなことを言う。「完成された至高なる秩序は、あなたがた犠牲者によって尊重され、保持されることになる」。その事例としては、米国と、その盟友ということになっているイスラエルとイギリス、この3者が絡む国際政治の企みの中に容易にみることが出来る。騙す技術の高いことが、手柄とされ、高度な仕事と思われている。ある秘密諜報員(どちらの見方なのか分からないが)は、疑うことを知らない人々に、こんな有難い警告を投げかける。「悪魔のもつ最大の力は、悪魔など存在するわけがないと思い込ませる力であることを忘れてはいけんし」。確かに「ミルコム神殿」が中央銀行という仮面をつけ、ありふれた風景の中に溶け込んでいるのは驚きである。モロク神とミルコム神殿は、聖書の列王記上下にソロモンとして描かれている有名な人物の崇敬の対象であったにも関わらず、ユダヤ・キリスト教の宗教ドグマにおいてはほとんど無視されている。
モロク神とミルコム神殿のパワーを、中央銀行という誰でも知っている組織の中に隠すことは、史上最高傑作の詐欺と言える。米連邦準備制度(FRS)やイングランド銀行のような中央銀行は、銀行(会員銀行)のための銀行として政府権力によって信任されている。一般的に中央銀行というものは、その国の通貨を発行し、金融危機の時には会員銀行にとって最後の頼みの綱となる役割を持っている。中央銀行は、古代の神殿の現代版そのものであり、現代の銀行建築物はマネーの大聖堂であるとよく言われる。
中央銀行の存在を都合よく正当化しているのは、政府はあまりにも腐っているし、無能なので、金融に関する問題に責任ある対処ができないという考え方である。利率や負債の管理はとても大事なことなので、選挙によって選ばれた(無能な)政府のコントロールには任せておけない、と僭越にも中央銀行は言っているのだ。国民はえらく舐められたものではないか。
ときおり、中央銀行から国の信用を取り戻し、中央銀行システムに対する負債や利払いの発生しないマネーを造ろうとするまともな政府によって、中央銀行が脅かされたこともある。だが、負債や利子の発生しないマネーを造ることはモロク神への冒瀆を意味する。国が、負債や利子の発生しないマネーを発行することは、ミルコム神殿のモロク神に対するこの上ない攻撃であり、通常は暗殺もしくは戦争という暴力によって報われることになっている。そのような暴挙をこれ以上許さないためには、信用=貸付金=負債=マネーとなるマネー創造の二重思考を注意深く研究し、経済霊とミルコム神殿のモロクの秘密のヴェールを取り払わなければならない。

思考停止をもたらす「唯一神」概念を導入したヘブライ人

「二重思考」がマネーの創造をもたらすプロセスが「あまりにも単純すぎて、思考を寄せ付けないほどだ」と言ったのは、現代の中央銀行経済学の父であるジョン・メイナード・ケインズである。ありふれた日常に隠れた秘密とは、中央銀行組織は、さも公共の利益のために存在しているように装っているが、私人によってコントロールされ所有された独占企業体であることである。現代のミルコム神殿である中央銀行の本当の目的は、公債と呼ばれる永遠に解消されることにない負債を作り出すことである。その公債に課せられた利子は、中央銀行組織に人間文化を隷従させる、旧約聖書の「捕われの身(緊縛)」の一形態である。米連邦準備制度および数多くの国々の中央銀行は、明らかに神話のソロモンのミルコム神殿の現代版である。
公債に対して支払われる利子は、実質的にミルコム神殿のモロク神への「十分の一税」である。この十分の一税の大半は、所得税を徴収してくれる政府のおかげで実現できている。リンカーン大統領たちとは違って、自国通貨の発行管理と利率を自らコントロールしない政府は「中央」銀行という作られたイメージの中にミルコム神殿を隠匿することに協力している。さらに経済霊にそそのかされ、政府の役人は間違った発表をする。社会にとって必須なことをするには所得税他の税金徴収は必要絶対不可欠であると言う。このような政府の虚言のヴェールに包まれ、誰でも知っている中央銀行の姿に身を潜めたミルコム神殿は、公債という形で永続的な資産を保有することができ、その公債に対する利子を安定的に受け取ることが可能になる。
有史以前から神々は神殿を持っていた。時代が経過するにつて、最終的に多くの神々が存在するという概念は打ち棄てられた。たった一つの神という概念が生み出されたのは、ヘブライと呼ばれる人々の手によって作られた聖書においてである。この「唯一神」には、それまでとは異質な特筆すべき神概念が取り入れられている。この神が独特なのは、神殿は不要であると言った点である。しかしながら、度重なる要望に応えて、この異質な神は、不本意ながらも、神話の人物ソロモンに神殿を建てることを許可した。「唯一神」という概念は、人間の思考に対して一種の魔術的な力をもっており、止血帯のように、考えることを停止させる働きをする。それは特に、日常的な風景の中にミルコム神殿のモロク神を隠す効果をもたらしている。
神話のソロモンは、彼の「唯一神」のために神殿を建てるだけでなく、他の神々の神殿を建築した。その他の神々の神殿の一つが、特別にミルコム(モロク神とも言われる)のために建築された。それまでの全ての神殿と同様に、この神殿は、人々の犠牲や供物、「十分の一税」を納める義務を課した。これらは、神の住居と神に仕える聖職者を維持するために要求されたものである。
時代が経過するにつれて、自然と調和しながら繁栄することが社会の目的であるという感覚よりも、横道に逸れて神殿を維持するための義務の方が優先されるようになったことが分かる。人間社会の第一の義務は母なる自然の世話人であるが、いつしか優先順位が逆転してしまったのだ。いまや人間社会の究極の義務は、モロク神への「十分の一税」としてミルコム神殿(中央銀行)に公債の利子を払うことによって達成されると思わされている。

自立思考を封じた「二重思考」こそ、モロク神の「仮想神殿」の「公開暗号」

聖書の列王記上11章5節に、ミルコム神殿はソロモン王によって建造されたと言及されているが、この記述は公開暗号になっている。この暗号は、人類社会に経済霊と現代的なマネーが導入されたことを語っている。ここでは、ミルコム神殿の神は、「モロク神」もしくは「モレク神」として理解されている。経済霊とマネーを伴ってやって来た神は、即座に自身のカルトを誕生させ、養成した。このカルトは、新たに発見された10進法の威力をいち早く理解した人間であったに違いない。彼等は、紀元前450年から紀元前150年の時代に、マネーの算術に卓越し、さらにそれを精緻化していった。経済的芸術ともいえる信用=貸付金=負債=マネーという「マネーの二重思考」の第一人者は、本書では「カルト273」は、「地球全土を征服し、人々が自立した思考を一切できないようにし、その後も永久に人々が自立した思考をする可能性自体を消し去ることを目的」としている。
自立した思考は、ミルコム神殿の領土を隠すヴェールを取り払う力を持つ。中央銀行として知られる組織の中に棲みついた奇妙なミルコム神殿は、生命を育む地球そのものを破壊するに十分な力を持っており、そのミルコム神殿の二重思考に気付く能力は大きな意味を持つ。
キリスト自身が体験したと伝えられていることも、モロク神の存在を証明している。新約聖書によると、キリストは、悪魔サタンに服従しさえすれば、世界中の全王国を与えてやると誘惑された。「そこでイエスは悪魔に言った。サタンよ、お前を懲らしめてやる。ここに書いてある通り、お前の主である神を崇拝せよ。お前が仕えるべき神は外にないのだ」サタンの主なる神とは、「慢性的な政府債務・利子稼ぎのマネー・資本利益率」の中央銀行の支配を通じて全王国に力を及ぼすモロクである可能性が高い。言うまでもなく、キリストなる人物によって崇拝された神とは同一ではない。
モロク神のために神話のソロモンが建設したミルコム神殿は、喩え話として特別な重要性を帯びてくる。考古学によれば、神話のソロモンが建設したという神殿とおぼしき建物が実際に存在した証拠を発見するのは困難との結論に達しており、喩え話であることは明らかである。また、本書では、聖書のダビデもソロモンも実在した人物ではないという前提にしておきたい。ミルコム神殿は、「経済霊の知的複合体のことを示す仮想的な場所」と考えられる。聖書に記録される神殿のうち、実在するのは、いわゆるエルサレム第二神殿だけである。ユダヤ・キリスト教の神話にとって中核的存在である第一神殿も本書では実在しなかったものと考えるが、喩え話として聖書を理解するためには非常に重要な存在である。聖書の記述は、かつては理解されていたが、その後、ユダヤ・キリスト教の神話によって意味不明になってしまった、新種の思考形態に沿って語りかけている暗喩的記述と本書は考える。この新たな思考能力は、聖書の第二神殿の時代に頭に入り込んできたようである。実在した不動産としては、第二神殿が第一神殿であると考えたほうが、あらゆる実用的な意味では賢明である。この新しい思考形態とは、聖書の記述では市場のマネーとして言及されているものである。

恵み深い「神王マリク」の「意味反転」モロク神は「容赦しない、許さない」

「もろく」の名は、聖書では、時には「モレク」、「マラーム」とも呼ばれるが、人口に膾炙された結果、超古代の「マリク神」が人為的に変容されたものと考えられている。マリクは、依然として発掘されていない最古の文明の神王であった。この原初の、おそらく最初の文明は、現在のシリアの都市「エブラ」に首都があった。エブラの歴史は、聖書の原初の祖父たちの神話的時代よりも数百年先立っている。エブラの言語は、ウガリット語よりも古く、当該地域で現在確認されている中で最古のセム系言語である。「エブラ文明」の起源を記した物語によると、「神王マリク」は天空から舞い降りてきて、自身のための第一神殿を地球人と共に建築したという。マリクという名前は、もともとは天空の創造者を意味する言葉として翻訳された。
この壮大な名称は、伝説にある天空から来た神々から舞い降りて、彼の神殿を建築するのを手伝ってもらうために人々を組織化したと伝えられている。マリクの主な関心は、貿易と商業にあり、拡大した領地をうまく統治した。金と銀の交換比率が定着したのはこの頃であり、金と銀の比率は1対5に規制された。「マリク」はエブラで最も人気の高い神であり、楽しみをもたらす神として認められ、「父なる創造主」として尊敬された。
エブラの社会体制は、我々がイメージするような帝国の強権的体制ではなく、エリアが現在のイラクとトルコの大変をまたがる穏健な商業的体制であった。誰を王に任命するかは、人々の暮らしがどれだけ豊かになったかに基づいて、人々が判断して決めていた。
「神王マリク」は人類に模範を示した。商業と宗教の勢力範囲は明確に分離された。商業の記録を行う書記官の役割は、聖職者とは切り離されていた。主に商業関係のことを処理するのは、聖職者ではなかった。王が保管した書記官の記録には、膨大な借方、貸方の情報が蓄えられ、広汎な商業エリア内の商品の産地、効用、社会に役立つかどうかを知ることが出来た。
キリスト教徒から徴税する仕事をしているうちに、サウルは罪の意識に悩むようになったと、キリスト教は伝えている。深い自責の念に襲われたサウルは、将来の展望を抱いてキリスト教に改宗し、かの有名なキリスト教徒パウロとなり、ヘブライ神殿からは忌み嫌われる存在になったのである。
「マリク」から「モロク」への変形には数百年を要している。正式に神のなとしてモロクが出現するのは第二神殿の時期として定説となっている紀元前539年の約1500年前である。恵み深い支配者であったマリクとは異なり、モロクは「容赦しない、許さない」神として歴史に登場する。この性格は、経済霊の(高利貸し)マネー・システムを運営するという意味では、最もふさわしい性質である。実際、「慢性的な政府債務・利子稼ぎのマネー・資本利益率」の中央銀行組織を運営する上で、容赦・許容する能力の欠如は必須のようだ。中央銀行の機能の核心は、負債を創造して市場流通させるところにある。利子率とその裏返しである割引率によって、負債は売買可能な商品に変えることが出来る。負債を減免したり帳消しにするという概念があっては、そのような市場は成立しない。
赦すことが出来ないというモロクの性格は、犠牲者たちに与える危害の大きさに比例して、犠牲者たちを憎むことが出来る能力があることを意味している。慈悲深い心はモロクには無縁である。モロクの中央銀行カルトは、その寛容心の欠如という特徴によって、人類とは異質な存在であることが分かる。モロクのカルトの束縛から無償の救済がなされることは、全くあり得ない。さらに、苦しめ傷つけた者に対し、決して赦したり、ひるんだりしてはならないと書いてある。モロク神の中央銀行パワーにかかっては、いかなる妥協の余地もありえないのだ。
マリクからモロクへの行程には、いくつか脱線があった。オカルト研究者は、サタンの名の下にイスラエル人によって採用された恐怖の「バアル神」も、モロクとして知られていたと指摘している。この発想の展開は、「セス」の名の下に、エジプトに起源があるようであり、セスは小アジアでは「セス・バアル」として知られた太古の神である。この神は、「メレシュ・シェシュ」または「モロク・セス」としても知られており、赤いロバのシンボルで表されることが多い。完全無欠な動物は、神聖なものの現れと考えられた。徹底的に正統派を貫いているユダヤ人によると、傷のない赤い子牛の誕生は、聖書の救世主が出現する印であるという。

「お前の種子を火に通じてモレク神に捧げてはならない」

聖書を典拠とする宗教にモロクが登場する謎は、レビ記18章21節の暗号めいた記述から始まる。そこでは、種子を火に通すことについて警告している。この一節は、穀物の種子と同時に、人間の子孫のことも意味しており、ともに繁殖に関連している。そして、マネーは種子のように地球時間の経過とともに成長していくことが期待されている。この一節が経済霊とマネーに関係していると言えるのは、当時は交換手段として種子が使用されていた事実があるからである。「お前の種子を火に通しモレク」(またはモロク)神に捧げてはならない。お前の神の名を汚してはならない。私は主である」とその一節は告げている。
この禁止事項は、衛生に関する章の途中で唐突に出現することから、特別に奇妙である。これが喩え話である証拠として、種子を熱にさらすことは農業の基本に反していることは広く認知されていることも挙げられる。この一節を解釈するためには、物質的な行為としてよりも、心理的または知的な観点が必要であるようだ。もしも現実に子供を焼却するような慣習をもつ文化があれば、生き残ることは不可能である。
この禁止の意図は、(モロク神に擦り寄るような)精神的・心理的な状態になる。または、そのための知的な行動を取ることに対する警告であると、本書ではとらえておく。経済霊の観点からは、「種子」とは「マネー」のことを言っている。この一節は、「種子(つまりマネー)」をモロクの勢力の支配下に置くような行為をしてはならないと禁止しているようである。モロクの勢力とは、総合的に「慢性的な政府債務・利子稼ぎのマネー・資本利益率、割引率と商品化された負債」のことである。種子とマネー概念の結びつきは、「元手(マネーの種)」という投資用語として残っている。
創造主の神は、この一節で邪悪な霊のことを語っているようである。この邪悪な霊は、創造物を脅かすしたたかな力を持っている。モロク神の邪悪な力は、「火焔の呪詛」のように人間の心を掌握する力を携えて、人類に近づいてきたのである。子供を火に通してはいけないという禁止は、マネーの計算に情熱を燃やし、利子稼ぎのエンジン(強欲)を支えることによって、人間の心がいかに消耗するかを説く象徴表現である。マネーに取り憑かれた精神状態になれば、創造主である神と疎遠になり、その契約を締結した神に反逆したモロク神に代わりに近づくことになる。
「慢性的な政府債務・利子稼ぎのマネー・資本利益率」というマネー概念への信仰の父であるモロク神にとっては、永続する負債が究極のパワーの供給源である。モロク神にとって最高の成果は、負債が世襲によって代々引き継がれる状態であり、もし可能であれば、政府の負債として永久に更新されていく状態にしたいのである。世襲制で負債が相続されていたローマ時代では、貸付金と負債のマネーの「火炎の呪詛」に取り憑かれた親の子供は、死亡した親の債権を所有する者の財産となる運命であった。次の世代の個人の自由は、マネー計算のモロクの支配する「火焔の呪詛」によって犠牲となった。
火とモロクの謎めいた話は、宗教上の禁止を語っているとともに、預言にもなっているようである。利率など様々な投資計算から生じる、神秘的ともいえる知能への執着は、我々人間の中でも最も才能ある者たちの思考を突然に襲ったようである。才能の劣った多くの人間は、マネーについて何とか理解し、洞察して利益を得ようとして無駄な思考を巡らせる。その結果何が起きるかといえば、マネー計算の「火焔の呪詛」によって、自然のバランスを歪める方向に社会全体は活性化されるのだ。禁止を説いた聖書の記述は、人類にとって危険な。ある大きな力のことに気付いていたに違いない。
ほとんど全ての主教には「聖なる火」という類似の概念があり、モロク神によって吹き込まれた「火焔の呪詛」という発想は、特別なものではない。一般的に、「聖なる火」の概念は、浄化のことを指すか、もしくは。精神的な輝きにつながっている。また、「聖なる火」は、ホロコースト(大虐殺)のような破壊に結びつくこともある。心霊的な観点からは、火の神聖な力を現しており、宗教的な目覚めをもたらすものである。知的なレベルでいえば、詩的な意味での火は、モロク神と経済霊の存在の証しである消費への熱情を表現していると理解可能である。

「ウォール街のモラルは、モラルがないことだ」思慮を盲目にさせる焔

経済霊の存在を象徴する「呪詛の火焔」の熱情は、生物学者でもあり、神秘的科学者のテイヤール・ド・シャルダン(1881~1955、イエズス会神父)が創造の意味を悟った時に表現した心霊的な高揚に匹敵するものである。シャルダンは、宇宙の精神を畏敬して火に喩えている。「火は全ての存在の源である。燃えさかる精神、火、超越した存在、融合の連続。至高の鍵、私は火である。形を成すもの全ての本質、人間は私なくして何も出来ない。これが私自身を燃やし捧げる私の仕事である。私は司祭なのだ」。モロク神が経済霊を焚き付ける行為の中にも、この司祭の熱情に相当するものが疑いなくあることは否定のしようがない。
一例を挙げると、世界的に有名な銀行家ポール・ヴォルカー(元FRB議長、オバマ大統領の経済顧問)は、株式市場の活況期にエール大学の同窓組織で講演した。ヴォルカーと、彼の後輩である聴衆の理想は、株式市場の仕組みを崇拝しきることであり、それは彼等が市場エネルギーと呼んでいる力に従って有効に機能するものと信じられている。けれども、ヴォルカーとその仲間は、自分たちがモロク神と経済霊を崇拝しているとは、おくびにも出さず、問われても間違いなく否定するであろう。
ヴォルカーは、株式市場のエネルギーのパワーと神秘について熱く聴衆に講義した。「いつしか拍手喝采が始まった。誰からともなく立ち上がり始めた。聴衆は涙を流して泣いていた」涙を垂れ流して喜びを表現する光景は、熱烈なキリスト教徒の集会で救済の祈りを捧げ、聖霊に心を移し入れる時によく見かける、感極まった反応である。エール大学の学生は、経済霊の恵みを通じてマネーを得ることが出来るという心算に、喜びを一同と共有したのである。経済霊にとっては、ほんとうに素晴らしい一時であったに違いない。モロク神にとってもこれ以上望むことはなかっただろう。
エール大学のような学校では、将来どんな仕事をしたいか同級生に質問するのが伝統である。ポール・ヴォルカーの言説に恍惚状態になった学生たちは、「我々の時代における神の目的に奉仕すること」を熱望していると告白した。この学生たちの告白は一般に理解されているのとは違う。あくまで「株式市場、利子稼ぎマネー、慢性的な政府債務」という例の観念への献身を表明したのであって、一般的な聖書の創造主である神ではなく、モロク神に奉仕しようということなのだ。
モロク神の物語に夢中になる聴衆は、ここに集まった学生だけではない。「大富豪のマイケル・ミルケンは、証券詐欺で起訴されていたが、ニューヨークでの夕食演説の席上、アメリカの大企業のCEO(最高経営責任者)たちから二度にわたる総立ちの拍手喝采を受けた。この夕食会の時、七百名ほどの黒いネクタイの聴衆は、その十年期の最高経営責任者を称えた」。金融市場にいるモロク神パワーのさらなる証拠として、株式投資のプロたちの間に認められている「ウォール街のモラルは、モラルがないことだ」という了解事項がある。1998年12月6日(日曜日)の「ニューヨークタイムズ」は、債券の利子の専門家であるジュームス・グランドを引用した。「公開市場で金を儲けることと、世界を良くするということの間には、根本的に相容れないものがあると思う」と彼は言う。為替取引の教祖であり大富豪であるジョージ・ソロスは、「基本的に市場というものはモラルに関係ないものだが、社会にはある程度のモラル、つまり、善悪の区別が必要だ」と言う。
経済霊がマネー形成をする際、人間の行動に甚大な影響を与えるというのは明らかなようである。あたかもマネーの計算が、熱情という形で人間の思考を急襲したかのように。この熱情とは、火のシンボルであるが、まさに燃え盛る焔が眼をくらませるように、周りの生物や社会の現状に対して人間の思慮を無分別にさせるに十分な威力を発揮するようである。火という言葉は、超自然的な存在との接触を意味する時に良く使用される。聖書のモーゼは、独特の火の導きによってセム系の宗教に入信する。モーゼは特殊な火のある森を見た。そこには「炎は燃えたが、尽きることはなかった」。燃える森からのテレパシーによるメッセージは、「私は、私がなるものになる」だったと、喩え話に出てくるモーセは伝える。別の報告によれば、森にいた神は、モーゼとテレパシーで通信し、「私は私であるものだ」と言ったという。いずれにしろ、森に現れた神の力は、人類を支配する「新しい状況」が訪れたことを示すものである。それによって、モロクのカルトのメンバーは、地球の世話人という大きな社会的責務を何ら気にすることなく、マネーのことに心ゆくまで専念できるようになった。無責任な力ほど強い力はない。
現在圧倒的に人類社会を支配している力は、明らかにマネーの中に存在している。燃えつつも尽きることのない火という概念は、経済霊のマネーを「美しく」喩えたものである。燃えながら尽きることのない火の森のように、経済霊のマネーは、利子という尽きることのない永遠に続く稔りの収穫をもたらすものと信じられている。この永遠の収穫という想念は、一種の魔法のように人間の頭に入り込んでくる。マネーの利子の魔法は、森を燃やす尽くすことなく燃え続ける神秘の火に似ていないこともない。モロク教のテトラバマトン(聖四文字)であるI=P×R×Tの公式のパワーは、自然界には存在せず、目に見えないものである。この公式が、マネーを解釈する人間の思考を支配している。

別次元から操られた思考形態としての「新しい力」マネー

新たな支配形態として、モロク神がテレパシーを使って人間の思考に直接接続しようとしている証拠が数多くある。「目に見えない手法で遠くから思考をコントロールする。このことは、いまだかつて考えられないほど最強の力をもたらすだろう」こんな常識を超えた力が存在する証拠はいくつかある。宇宙を旅している時に宇宙飛行士は「絶えず何か外部の宇宙的な力が思考に呼びかけているように感じた」という。多くの宇宙飛行士は宇宙旅行から帰ってくると、生物圏を守らなければならないという、モロク神とは異なったメッセージを発するようになる。それはまるで宇宙飛行の間に創造主に出会ってきたかのようである。
別次元から操られた思考形態としてマネーが存在する可能性は、マインド・コントロールの精神工学や遠隔透視の実験が広く認知されている以上、簡単に伝承から容易に見出せるし、それは極めて理にかなっている。モーセが新たに経済霊のマネーの力を認識したというのは、事実上、自然そのものから分離した「新しい力」を行使するという宣言だった。モロク神とミルコム神殿についての聖書の言及は、いかにして経済霊が、地球の世話人としての義務から人類を引き離す力を持つに至ったかを伝える、「公開された暗号」であると本書では解釈する。
人類はマネーの利子計算にこぞって没頭するという集団催眠に、いつしかかかってしまい、このことが経済霊とモロク神のマネーを真の政府(支配者)に押し上げたのである。