現代スサノウの言霊 

12.レビ族を超えて

交易と商業に「利益」導入は「詐欺の価値」会得後

営利主義の亡霊たる「経済霊」が「呪われた」マネーを世に送り出したのは、エルサレムの都市であることは不思議ではないでだろう。聖書の物語においても同様にエルサレムにマネーの存在が認められている。マネーが使用されるようになる以前から、エルサレムが位置する場所は、商業の要衝路が交差する土地であった。当時知られていた商業圏を結ぶ交易路は地中海に沿っていた。後にエルサレムと呼ばれるようになったこの聖都を囲む地域は、海賊と隊商襲撃者から適度に安全な距離を保ちながらも、海港と陸の交易路と便利に接続していたため、特別な場所であった。互恵的な交易が日常的になされていて、一種の中立地帯のように見られていた。紀元前7世紀頃、貨幣という形態で経済霊が招聘されたのは、地中海周辺のトルコ西部にあるリディアという土地だった。
古代の文書には、このマネー・パワーが社会に到来したことを明確に記す文章が残っていない。古代の金融や商業のことを述べる時に、現代用語を使用すると、しばしば誤解を招くことになる。「マネー」という言葉は、依然として辞書になかった。たとえば、「マネー」とか時には「ローン」と間違って翻訳されている言葉は、単に「カプス」という銀を意味する言葉である。今日の意味でのマネーではない。同様に、地代・家賃・と翻訳されてきた言葉は、実際には「10分の1税」を意味している。ワインは売買されたというよりも、ワイン1単位が穀物1単位として交換に使用された。現代金融用語を使用して翻訳すると、完全に間違ったものになることがある。
もともと商業は、現代の市場と一般に言われているようなものではなかった。「需要と供給の圧力にさらされた価格はなかった。売りも買いも、マネーもなかった。交易の等価性は神聖な命令によって確立されていた。マネー以前の古代世界は、ビジネスの利益や損失とは無縁に繁栄していた」。マネー以前の時代は、物々交換だった。交易と商業に「利益」が考慮されるようになったのは、人間の意識に変化があったことを示す。この変化は経済霊の到来と同時期に発生した。その当然の帰結は、「詐欺の価値」を会得することであった。
この詐欺的な特質について概に、エジプト脱出の物語と、ヤコブが「イスラエル」になった取引のエピソードで説明した。経済霊の到来と、現在のマネーの発明される以前、商業は、神殿の権威によって確立され、強制力をもった神聖な命令のルールの下に行われていた。聖職者の役割は、「公平な価値で交換することを確かにすること」だった。この聖職者の権力を担った「レビ族」の役割について聖書は詳しく記載している。このエリート集団は、人々のために神殿を通じて、必要な事項を管理する責任があった。

「レビ族を超えた」特別任務のエリート集団「カルト273」

硬貨がマネーとして市場で目立つようになってきた頃、神殿組織の中の新たに「特別な職能集団」を設置すべく職員が再構成された。273人の男から成るエリート集団が、「イスラエル(レビ族)の第1子」から選ばれ、新しい要職となった。この新しい地位の一団は、「レビ族を超えた」と認識されるようになった。273人の特別に抜擢された男による新しいカルトは、レビ族からは独立した存在にしようと意図的に選ばれたのだ。彼等は神殿の特別任務を行うこととなった。民数記3章を読み進めていくと、47節~51節に、273人の男のカルトは即座に資本を蓄積する作業に着手したとあり、この新しいカルトはマネーに関する特別な職務を担うために編成されたことが分かる。各メンバーがそれぞれ「5シゲルの徴収額」を調達した。この金額から1365シゲルの資本の蓄積が得られる。これは、神殿の指導者層が、出現しつつある「経済霊主導のマネー経済」の中で神殿が主軸となって有効に機能するためにはマネー資本掌握が絶対必要不可欠なことを認識していたことを示唆する。出現しつつあるマネー経済のために創業資本金を調達せよとのさらなる勧告は、出エジプト記30章12節~16節に記されている。今度は20歳以上の全員から半シゲルが徴収されることとなった。
このような「マネーの職務」についての聖書の言及は、「カルト273」が、市場にマネーが出現した後に結成されたと伝わる第2神殿の職務と結び付いていたものと思われる。さらに聖書によると、元祖レビ族はエジプト脱出の物語の時に選ばれた人々である。伝統的解釈では紀元前1350年頃として時代特定しているが、ヴェリコフスキーが『混乱の時代』で述べているように、ミケーネとギリシャ時代の間には暗黒の時代はなかったので、先述の通り、エジプト脱出は後世の紀元前9世紀と7世紀の間の火山活動の時期に起きたものと認識しておく。

中央銀行、超富豪、ケネディ暗殺にまつわる謎の数字273

エジプト脱出の時に、埋め合わせるべき(償還されるべき)第1子は、生後1カ月以上の22273人の男として算定された。「償還」という発想は、金融を思わせる状況や手段につながっている。「この償還されるべき総数は、レビ族よりも273人多い」。償還という言葉は、一般的にはエジプトの束縛から救い出されたことを意味する。前に示した通り、273人の特別任務は、マネーの誕生によって喚起され、新たに生じた経済的チャンスから利益を得るためにどうしても組織編制が必要になったことを示唆している。神殿のマネー任務部隊として選ばれた273人の男たち。彼等はマネー管理の職務遂行に足る要件(年齢条件等)を満たす成人男性1万人(推定)の2・73%であるに過ぎなかったことは明らかである。
何らかの偶然の一致かもしれないが、この2・73%は、現代国家の中央銀行経済においてマネーを管理しているとされる人々が人口に占める比率と同じである。謎の数字273の奇縁は尽きない。テレビ報道によると、現代の社会経済状況では、273人の人間が、残りの地球上の全人口が保有するマネーを寄せ合わせた金額の半分以上の資産を持っているようである。
さらに奇妙な数字の一致として、ケネディ大統領の暗殺後に、ベトナムから米軍を撤退させる命令をキャンセルした米国政府文書の番号が273である。ケネディが国際金融勢力および米国の中央銀行であるFRSと、マネー政策に関して深刻な対立関係にあったことを考えると実に興味深い事実である。彼らは、ケネディが利子とも債務とも無縁のグリーンバックの発行は、リンカーン流の民衆主義経済への復帰を意味することになるはずだった。これは中央銀行の権力を通じて支配しているモロク神を直撃する挑戦であった。1963年6月には既に、ケネディは連邦準備銀行のあらゆる特権を剥奪することを決意していたことが窺える。国の債務も利払いも不要で、所得税も必要ない一連のマネー・システム「グリーンバック」の復活は、投機や国際勢力による支配には極めて都合の悪いものであった。ケネディとニクソンの両大統領が、実はアメリカのマネー・システムと格式市場を支配するモロク神の力を敵対活動をしていたなどとは、全く想像可能な範囲を超えたことである。

猥褻を煙幕にグリーンバックを永遠に闇に葬る

米国のグリーンバックによって中央銀行に突き付けられた潜在的脅威は、クリントン大統領とモニカ・ルインスキーを巻き込んだセックス・スキャンダルのどさくさに紛れて、議会によって粛々と鎮圧された。モロク神と経済霊の活動を覆い隠す上で、猥褻が果たす役割は非常に重要であり、その原初の記録が、マネーで人間を買うことができるという秘密の知識を隠した割礼(包茎切除)の儀式である。さらに、FRSの潜在的な競争相手であった貯蓄貸付組合(S&L)業界を破壊する予兆となったウォーターゲート事件の時に、「ディープスロート(のどの奥まで)」という猥褻な意味合いの言葉で撹乱したのは、明らかにモロクの力が関与している証拠である。大統領執務室で起きたクリントン大統領とモニカのことを非難するニュース・ネットワークの中心テーマになっているのは、間違いなく猥褻である。大統領執務室を巡る色情的な報道が、まるぽちゃ娘と明らかに錯乱した大統領の間を飛び跳ねている間に、議会は粛々と、アメリカ唯一の、真にアメリカ独自の通貨であるグリーンバックの発行を未来永劫に違法化した。ついでに言えば、グリーンバックには、あらゆるオフショア・タックス・ヘイブン(海外の税金回避地)の口座、麻薬マネーの預金、マスコミではよく麻薬資金と勘違いされている企業の秘密の横領資金を、無価値化・無効化する起爆力があったことも注目に値する。
聖書は「カルト273」の選抜については具体的に述べているが、神殿の運営における実際のカルトの役割については沈黙している。しかしながら、実務的な問題として、「カルト273」の目的は、過去の前例のない仕事、つまり、マネー供給をコントロールし、そこから利益を得ることに集中していたはずである。さらに、当時は債務回収に法的強制力が利用できない状態であったため、マネーの貸し手は大きなリスクを抱えていた。世界の主要な宗教の起源を調査すると、その第1の原動力は債務の回収をどう安定させるかにあったことが窺える。
新しい「カルト273」が決して最初から順調に運営されたわけではないことは、紀元前408年にエルサレムが破綻したことに示されている。その後の「およそ紀元前100年から紀元前70年にかけては、エルサレムの聖職者ですら勢力の失墜に苦しんだ」とあり、明らかに神殿にとって物事は順調ではなかった。紀元前138年頃、ユダヤのマカビーズ族によって初めて国の通貨鋳造が試みられたのは、ローマ帝国の中央政府がエルサレムの神殿に対して恐怖の抑圧をしたのと同時期である。この時期の後に起きた歴史的事実としては、神殿は、シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)の勢力に追い越されてしまったということである。最終的にシナゴーグはローマの全ての主要都市に設置されたが、最後にシナゴーグの記録が残っているのは、3世紀後半のエジプトのアレクサンドリア近郊である。この3世紀という年代は、キリスト教にとって深刻な矛盾を突き付ける。当然ながら、いつもシナゴーグで説教していたイエスと使徒たちの年代はもっと後の時代に再配置することになる。この時期までには、ユダヤ人の宗教生活の拠点は神殿からシナゴーグに移っていた。神殿の没落がかえって、「カルト273」の金融的な多才さを急速に花開かせた。「シナゴーグにはそれ自体の財産、所有物、収入があり、私的な寄付(預託)によるものもあった」。

父殺し「カルト273」参入儀式「包茎切除」は、本命「マネーでの人買い」を隠蔽

新しい「カルト273」の排他性は、旧来の番人をしていたレビ人との緊張関係を生み出したに違いない。神殿の伝統的な上下関係は搔き乱されたであろう。レビ族の第1子から選抜したということは、暗号として特別な意味を持っている。元来、第1子という言葉は、直接神に属することを示した。
聖書の「エジプトで生まれた第1子を殺す」という文言によって、
第1子は秘儀的な意味を帯びてくる。第1子wp殺すということは、秘儀的な用語理解では父殺しの1形態を示しており、「新たな信仰」のために家族の伝統と絶縁することである。「新たな信仰」を受け入れることは、父を拒絶することであった。昔の伝統では、長男が、首領の地位と、父親の財産の2倍(他に兄弟と比べて)の分け前を相続していた。明らかに神殿の日常業務にマネーが導入されたことは、伝統と信仰を変えるものだった。
父親由来の信仰から子供たちを引き離して招集する新しい信仰体系は、父親に死の形態を加えるものと考えられた。伝統的なエジプトの神々ではなく、モーゼとその神に追随していく人々を描いた聖書の物語は、そのような「父殺し」の一例である。一般に認められたユダヤ・キリスト教の聖書は、出エジプトの父殺しの話から始まっているけれども、「カルト273」の登場によってかなり変更が加わっている。「新しい神」を意義付ける「新しい儀式」が、神殿で発展していったに違いない。8日目に男のメンバーの包皮を切除する儀式(割礼)が、猥褻話を使った撹乱ろなり、いかに隠匿に利用されているかわかるであろう。聖書を注意深く読んでいくと、「カルト273」の秘密を暴くことができる。マネーの力の秘密は、「人間でかうことが出来る」という発明の中に大胆に隠されている。
人類の新たな力としての発見されたマネーの特徴は、「包茎切除」という性的な錯乱の中に公然と隠された新しい契約の中に示されている。聖書の文章は、巧妙な方法で、「地球の世話人の契約」を「マネーの契約」と置き換えようとしている。主人である神は、創世記17章1節、10節、11節で「私は全能である」そして「私は、お前と私の間に私の契約を結ぶ」、そして、「お前たちの中で全ての男子は包茎を切り取らねばならない」、それから、「生まれたるもの、マネーで買われたるもの」と言っている。この1節に関する議論は、ユダヤ教においてもキリスト教においても、ほとんど毎回のことであるが、「マネーで買われた」というところを見過ごして、「包茎切除」の長話のところで迷い込んでしまう。「カルト273」に入会を希望する人が加入資格を得るためには、この一節の本当の意味を見失わないで発見することの出来る能力が、「カルト273」に受け入れてもらうために「重要な条件」であるに違いなかろう。

禁酒法は、地球最適の自動車燃料を封じロックフェラー石油独占を後押し

最近の人物の中で、「カルト273」のメンバーになれる要件を間違いなく満たしている並外れた人物は、有名なじょん・D・ロックフェラーである。彼は、石油事業で成功した理由を聞かれて、こう答えている。「私の頭には明確な計画があった。それは正しいものだった。それは良心によるものだと自覚していた。それは神と私との間で正しいものだった。私は人が知らないような金儲けの方法をいくらでも知っている」。石油とマネー創造の微妙な相互関係については、このインタビューの時点では、ロックフェラーと彼の神以外には知る人はいなかっただろう。ここでは、「カルト273」の神と、ロックフェラーの神は、モロク神である可能性が高いと断定しておこう。
猥褻に加えて、モロク神と大商人の利益を推進するために、宗教的に吹き込まれた道徳に基づく錯乱を使用される。この種の錯乱の典型的な実例として、宗教的に扇動されたアルコール反対の感情論によって、「偶然」に、アルコールを自動車の燃料として使用することが禁止された。アルコールは自動車産業にとって主要な燃料である。アルコールは地元で生産され販売されていたが、アルコールの製造と所有は禁止法令の成立によって違法にされてしまった。この禁止法令がもたらす保護がなければ、ロックフェラーが独占する石油は、環境保護の観点、地元生産の観点、全自動車産業の主要な燃料として流通と価格といった様々な要素において、アルコールと競争せざるを得なかったはずである。
聖書の文章が、マネーの知識を把握できるであろう能力をもった人間層の事を述べているのは、極めて明白である。このことは、包皮切除の猥褻な撹乱が、「カルト273」創設の時期を示す第2神殿の頃、つまり、マネーの発明と使用開始後のある時期においてのみ意味を持つことを示している。マネーで購入された人間たちの新しい心理状態の発生は、完全に人間関係を変えた。「包皮切除」の話は、猥褻さによる撹乱を使った巧妙な心理的ヴェールであり、本書でモロク神と呼んでいる主人なる神とのマネー契約のために、創造の神との地球の世話人契約を投げ捨てた事実を覆い隠している。

神殿のマネー商売を過激に破壊したイエス、ヤシュア・ベン・バンディル

新たな「カルト273」は多くの問題に直面していた。新たなマネー・システムを実現する上で不可避であったと思われる金融の技術的な難しさと、神殿内での駆け引きに加え、この新しいマネーのカルトに対して民衆が抵抗する事件もあった。イエスなる人物像と、ヤシュア・ベン・バンディルという名のユダヤ教過激派の2人(本当に別々の人物だとすればであるが)は、「カルト273」に対して深刻な問題を発生させたようである。両者とも、神殿のマネー商売に対する攻撃に関与している。イエスは、実際に物理的な攻撃によって神殿のマネー交換業務を破壊もした。「カルト273」によって神殿は盗賊の巣窟と化していたため、イエスは襲撃したのである。神殿は慣習として年に3回訪問することを要求し、その度に神殿のシケルで「10分の1税」を支払うことを求めていた。「神殿のシケル」は市場に流通しているシケルとは別の独自の価値をもっていたため、外貨交換所のようなものが運営されており、「市場のシケル」を神殿に受け付けてもらえるシケルに交換する必要があった。イエスは、この交換所の高利貸し的な利益の上乗せに激怒し、職員と記録板に対して攻撃的な行動をした。ひっくり返った記録板を元通りにして神殿の口座を計算し直すのに要した会計作業は、日々の口座の残高管理を仕事にしていた評議会の役人たちを激怒させたに違いない。
洞察力と想像力を使って考えれば、仮にイエスが襲撃の挙に出なかったとしても、債務の赦免を要求したことだけでも、イエスは、「カルト273」にとって到底許容できる存在ではなかったと言えよう。「カルト273」にとって生計の手段がなくなるというだけでなく、モロクは赦すことが不可能な神であると認知されていた。この当時の歴史を見ると、新たなマネーの契約が導入されたことに加えて、神殿内には既成の伝統的なレビ族勢力と「カルト273」の権力闘争があったことが窺える。その結果は、経済霊の支配と市場におけるマネーの力の台頭で分かることであるが、モロク神が神殿の権力を掌握したということになる。このマネー事業の支配権をめぐる闘争の過程で、純血のレビ族でない者が「カルト273」の要職に昇進したことが理解できる。
聖書によると、神殿の高位の職に、多くの非レビ人の職員が任命されたとある。ギリシャ人のニコデモは、ユダヤ人の支配者として認知されていた。ギリシャ人であるニコデモ以外にも、神殿の財産に関する最も奥深い職位を占有していたカルデア人のセブナがいる。明らかにローマ市民であるカイアファスは、レビ族の高位の祭司に相当するカルトの職位を確保していた。こうして見ると、「カルト273」のメンバーによって構成されていた神殿の要職は、高利貸しで利益を得ることに抵触しそうないかなる教義にも宗教にも縛られないことに気付くのにそれほど想像力は必要あるまい。また、彼等は、神殿のローン(誓約)ポートフォリオ(構成資産)からの利子収入を失うことにつながりかねないような、債務の赦免を求める抵抗運動に対しては極めて敏感であったろう。

複利によって信者が増殖する事例「ファティマの奇跡」

イエスとヤシュア・ベン・バンディルの両者は、実は、マネー・ローンに課せられた利子の義務と、それに関連して高利貸しを構成する金融事業を排除するための活動に従事していたと考えても、見当違いではあるまい。イエスは実際に民衆のための抵抗運動のスローガンも作っている。「我々は我々の債務者を赦す、我々の債務も赦そう」とイエスは言った。この高利貸しの組織に対するあからさまな攻撃は、間接的ではあるが、現代の宗教界では見過ごされている。イエスの民衆へのカリスマ性とマネーの寓話を使った追従者の教化は、「カルト273」にとって脅威であったに違いない。その典型がタラント(古代の通貨)の寓話である。現在ではマネーの収益を得ることを正当化するものとして解釈されているが、マネーの利子の寓話を通じて民衆の知識を利用し、信仰を普及させるための実例としているのである。キリストの追従者は、債務と高利貸しと無縁な彼等の仲間に加わる人を増やすための実例として、マネーの利子の寓話を使って教育されていた。ポルトガルの「ファティマの奇跡」は、マネーの高利貸しと同様に、複利によって信者が増殖する事例である。3人の子供が、天使と接触し、聖母が近く出現することを報告した。期待して集まった人々は、最初の3人の子供から、5カ月後の説明不可能だが目撃されているという「太陽のダンス」の時には、約7万人の大群衆に膨れ上がっていた。
イエスが本当に熟達した金融知識を持っていたことが、ユダヤ人の支配者ニコデモをして、イエスとの秘密の深夜会談を招集させたものと説明可能である。この会談の目的は、採用活動であったと同時に、ニコデモの提案を受諾し、神殿での高い地位を引き受ければ、それが理想であった。もちろん、そうなればイエスは債務赦免の思想を捨て、「カルト273」のマネー執行者の仲間入りをしなければならない。イエスは従順に受け入れるようには見えなかった。明らかにイエスのカリスマ性と知能は「カルト273」にとって脅威であり、ローン事業と神殿の招来のキャッシュフロー(健全な財務状態)にとっては厄介者であった。イエスとヤシュア・ベン・バンディルの両者の死刑執行は、経済霊のマネーの秘密と、来るべきモロクの支配を守るために命じられたことは十分にあり得る。
高利貸しの力は、神殿の聖職尊重の概念を横取りし、悪用し続ける。ウォール街の業者たちは、普段から株式取引所は自分たちの神殿であると話している。しかしながら、彼等は自分たちの神の名「モロク」のことは沈黙している。彼等はロスチャイルドの有名な格言を知らないはずはないだろう。「国の通貨の管理を任せてくれ、そうしたら法律は誰が作ってもいい」
ここでの通貨とは、中央銀行が管理する当座預金口座である。政治的支配権力は、マネーの権力と結託し、要職に少数民族や移民者、外国人の雇用を増やすながら、時代を生き延びていく。これが現在、米国とカナダで顕著になっている、政治的反対勢力を抑圧する支配テクニックである。こうした社会秩序の変化が、「カルト273」のマネー・パワーと緊密に連動して、モロク傘下経済霊主導のマネー・システムの転換を企図する国内のいかなる政治集団も抑圧する力として有効に機能する。